アキレスと亀

〈実は先に「ソナチネ」観たんですけど、これがなかなか良くって他のも観てみてみたいなー、研究してみたいなー、と思いまして〉


研究するにあたって、どっから攻めるか悩んだわけですが、知ってる情報から総合的に判断して「アキレスと亀」にしてみました。
つまり。

麻生久美子が画家と接触


脱ぐんか?脱いでくれとるんか??


というわけです。


…冗談はさておき、こちらの作品、なんて言ったらいいんでしょう、ううむ。


なんて言ったらいいんだ。


少なくともネットでよく見かける「夫婦愛」「とっても泣ける話」などでは無い。
あのさ、そういった感想述べてる方に言いたいんだけど、


それっぽい音楽に引っ張られ過ぎ。


この映画の音楽結構ノイズだよね。

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アキレスと亀」って3部構成になってて、その構成は猿でも解る3部構成で、すなわち(才能があるか否かは不明だが)芸術に取り憑かれた主人公マチス君の人生を、少年期・青年期・中年期に分けて語ってるわけ。


それが、それぞれのパートの色合いが随分違うんだな。いや、少年期〜青年期は全然問題ないんだけど、中年期のマチス君がそれまでのマチス君と全然繋がんないんだよな。中年期のマチス君は完全にビートたけしなんだもん。


それまで「陰性・浮世離れ」してたマチス君が、いきなし、「世界まるみえ」に出てるときのたけしみたいになるんだから、その異質感たら無いよね。
んでさ、「夫婦愛の泣ける話」的に展開してくのはこっからなんだよな。全体の尺の中の3分の1でしか無いの。それも、3分の1のパート中、大半は「アートコント」なんだよ。だから、「夫婦の泣ける話」感ていうのはこの物語んなかでは尺的に考えるとスゲー微々たるもんなわけ。というわけでもう一度言おう。


それっぽい音楽に引っ張られ過ぎ。

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しかしまあ、「なんて言ったらいいんでしょう」と思う要素は、「そこまで全然そんなテイストじゃなかったのに突然コント調になる」などという、はっきし言うとバランスの悪さに起因してるわけなんだけど、というか、「そういう部分」が非常に「たけし映画的」なのではないか?だから、たけしの映画である以上、これは全然間違えていないんじゃないか。というか、この間違えてるっぽいカンジこそ「たけし」なのであるわけで、ということはたけしの作品で在る以上、この構成は正しいのではないかとなるという(というわけで、「アウトレイジ」の中盤過ぎあたりで語られる「裏カジノ」のくだりの異質感ていうのも「アキレスの亀」を観てからだとあんまし異質感無かったんじゃないかって思った。これはたけしの手クセみたいなもんなのか!??という)


というわけで「アキレスと亀」は非常にメタたけし映画として興味深い。
(ホント夫婦云々はどうでもいい)


実際、自分の才能への懐疑・裸の王様になっていないかへの不安・自殺願望といったテーマはクリシェラインとして存在、他、青年期のマチス君とディーラーのやりとりは「キッズリターン」の先輩ボクサーとの関係を彷彿とさせたりとたけしテイスト満載。少年期のなんともいえん「おしん」感も過去作のどこかで見られそうなカンジがするなあ。


というわけで作家性があるか否かが一番大事ですわな。強烈な個性があれば技法とかそんなのは関係ない。全てを超越する。天才とか天才じゃないとか理解とか無理解とかそんなことどーーでもいい。そのような客観的判断というのは曖昧なものだとふっ切ったのか、今作の後で「アウトレイジ」を撮るっていうのは本当に興味深い。いいフィルモグラフィー



※あ。一コメモ。技法の部分でいうと説明的な台詞が多いのがちょっとアレですな。