「横道世之介」と今はもう付き合いの無い人たちの話

1987年、大学入学とともに長崎から上京してきた横道世之介君のお話です。そして、彼と出会った人々のお話です。そして、彼彼女らの現在の姿のお話です。


結論から書きますと、「横道世之介」、超絶に面白かったです。観る前、とあるラジオ番組にて、この映画を観られたパーソナリティの方が「和製フォレスト・ガンプ的というかなんというか」なる感想を述べられているのを耳にしたのですが、 フタを開けてみますといやいやいやいや、確かに世之介は少し世間ずれしているところはありますが、フツーに悩むし、フツーにズルいし、フツーにセックスしたがるし、あ、確かにイイ奴すぎる感はあるけど、でも、ギリ実在感保つレベルのイイ奴ってカンジで、ファンタジックな存在に陥らない絶妙なキャラクター設定で驚きました。

そんな世之介と接触する人々がタイトに絞られてるのも絶妙でして――それは意図的なものか否かはわかりませんが――結果的に「世之介みたいなヤツ、皆が皆とウマが合うわけないよなー」ってカンジを補完してるように映り、大変良かったです。そう、世之介はけしてみんなにとってのトリックスターなどではないのです。めんどくせーけどなんかウマが合うあいつ。なぜか付き合ってしまうあいつ。『どうしてあいつと遊んでんの?』と問われると『え。そんなの別に理由とかなくね?』としかいいようのないあいつ。俺たちだけが知ってるあいつ――そんなあいつが映画ん中に登場しているわけです。全部が全部、明快な理由がある友人関係なんてありえないし、つか逆にさ、そういうのがないからこそ「友人関係」なんですよね。


そういえば、大学ん時、高校からのめんどくせー友人と朝まで飲んで、その後どういう流れか忘れたけど「もののけ姫を観に行こうぜ!」つーことになって、朝っぱらから映画館に行ったら、おんなじイケてない組でも、俺らとは別のイケてない組に所属してた高校の同級生が、妹か弟かはたまた親戚の子かわかんねーけど、小さな子供達連れて観にきててなんか切なくなったことあったなあ。あいつ何してんのかなあ。あいつ、他にもアレだなあ、ガストで夜通しUインターの素晴らしさを語られたなあ。めんどくさかったなあ。でも面白かったなあ。全然会ってないけど元気にしてんのかなあ。


そんなこんなで、一見ファンタジックにみえるけど、じつは大変リアリスティックな人間関係模様をみせるこの作品、大学時代の世之介の周りにいた人達が、世之介から明確な感化を受けず、その後の人生を送っているのもリアルで素晴らしいなあと思いました。後々、ふと振り返った時に「そういえば世之介ってヤツいたなあ……」ってレベル。絶妙です、絶妙すぎます。世之介から多大なる影響を受けて人生の方向転換をみせたわけではない彼彼女たち。でも、全くなんの影響も受けなかったのかというと勿論そんなことはなく、なんつーかな、人生って、世之介と世之介と出会った人達の関係みたく、微細な何かの積み重ねで形成されているんだよなあってのを改めて気づかせてくれます。

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さて。この作品は、1987年から88年を舞台にしているわけですが、そうなると、例えばさ、「80s版 三丁目の夕日」みたく「雰囲気とノスタルジー」に頼った作品に陥っちゃう可能性もあるわけじゃないですか。でもこの作品はそんな安易な方向には進まず、いや、ノスタルジーといえばノスタルジーなのですが、ここで描かれているのは、なんというか「普遍的ノスタルジーとでも言うべきものでして、つまり、誰もが持っているであろう、「今は忘却の彼方に埋もれてしまっている、かつての輝かしかった瞬間瞬間」に対する郷愁が描かれているわけです。わかります?今でもつねに大切だと思ってる出来事が描かれてんじゃないのです。かつて大切だと思ってたけど、時間とともに忘れてしまっている出来事に対する郷愁が描かれているのです。前者はややもするとベタベタしたナルシスティックな香りが漂いそうなものですが、後者に関しては無意識だからこそのなんともいえん切なさありますよね。

そんなわけですから、それが集約されてる最後のパートは、もうううう……始まった瞬間から「やめて……」ってカンジで涙がとまらんくなりました。だってさ、一見すると未来への希望に溢れてるっぽいあの別離の瞬間、あれ、2週間の別れじゃなくなるのを我々観客は知っているわけじゃないですか。そのさ、希望に溢れてるカンジと、それと同時にその「希望」は基本的には忘れ去られてしまっていたという切ないカンジと、さらには、それはもうどうにも取り戻すことが出来ないっていうやるせないカンジと、でも、感傷的になりすぎるんじゃなく、かつて明確に感じた「大切な何か」はそれはそれとして大事にしておきたいっていうカンジが、思いっきりグチャグチャに入り混じっちゃってマジたまんなかったのです。


そういえば、かつて交際していた女性が重い病気にかかっているということを、その罹患した元彼女の友人女性から聞いた――っていう男性知ってるなあ。場所はラブホテルで。元彼女の友人女性は既婚者で。色んなこと教わったなあ。まだサブカルチャーサブカルチャー然としてた時代だったと思うなあ。インターネットもさ、今ほどフツーにあるもんじゃなくってさ。ネカマして遊んだりさ。ほんの少し前のことだけど、もう誰とも会うことなくなっちゃったから随分昔のことに思えるなあ。皆、元気してんのかなあ。


横道世之介」で描かれている物語は全然他愛もない無い物語だと思います。しかし、それは同時に、普遍的な物語だとも思います。人は生きていくうえで出会いと別れを繰り返し、そして、それを忘れていく。たったそれだけのことなんですけど、その「たったそれだけのこと」がじつは常にドラマチックなんですよね。ホント、この作品、「人と人が出会い、そして距離を詰めてく瞬間」と「人が何かと出会い、そして距離を詰めてく瞬間」のなんともいえん輝かしさを見事に捉えています。とくに、やっぱ吉高さんと世之介のくだりは全部ヤバくて、はじめて出会った時に爆笑がとまらんくなるシーンも、病室で呼び捨てになってくシーンも、そして、前述のラストのシーンも、その全シーンの輝かしさがマジたまらんくって泣きまくってしまいました。重複してしまいますが、その輝かしさだけでもヤバいのに、それが「忘却の彼方に埋もれちゃってる」とこまで描かれるとさ、ヤバすぎますよね。
というわけで、何度でも観たいなあと思えるぐらいズッぱまりしてしまったわけですが、次に観る時は、オープニングで世之介出てきた瞬間、諸々フラッシュバックしちゃって、その段階でガン泣きしちゃいそうなので、出来れば映画館でこっそり観たいですね。ホントもっかい上映してほしいなあ。

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あ。そうそう。最後のパート、世之介のお母さんからの手紙に対して「甘さ」みたいなものを感じられる方いらっしゃるかもしれませんが、アレ、はっきりいって全然不自然じゃねーし、甘々でもないよ。もしおんなじような境遇にあったとしたら、電話したり手紙出したりして、その思い出を誰かと共有したくもなるっつーの。


一昨年前、叔父さんの一人娘が28歳の若さで亡くなったんだ。突然職場で倒れ、そこから二ヶ月間、ICUに入っていたけどダメだった。いや、もう倒れて病院に運ばれた段階でダメだったんだけど。ところでその病院が、会社の近所だったから、毎日のように様子見に行ってたんだけど、そしたらさ、ICUだから色んな人の色んな状況に遭遇するんだ。年配の人とかさ、若い人とかさ、そして、当然その家族の方々とかさ。カーテンで仕切られてるから直接対面することはないんだけど、所詮カーテンだからさ、色んな話が聞こえてくるんだよな。で、そのたび、叔父さんと叔母さんと「大変そうだねー」なんて話するんだけど、じつは同様に、というかそれ以上に、叔父さんの家族はどうにもならん状況だったりしたんだ。そんな状況でさ、いとこの彼氏も仕事終わりにほぼ毎日、病院にきててさ、ホントいたたまれなかったな、あれは。で、その彼氏、去年の一周忌にも来てはったんだけど、人間関係ってそういうもんなんだよね。いとこみたいなケースじゃなくっても、別れた彼氏彼女の両親とやり取りしてる人って他にも知ってるしさ、単純な線引きで語られるもんじゃないよね。