「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

思いっきりなネタバレはしてないけど、どうしても触れたいところはあるので、そこはちょっと色を変えつつ触れてるのでご注意下さい。

かつてスーパーヒーロー役で一世を風靡した主人公(現在は没落中)がブロードウェイ進出を目指します。


はあ?またサブタイトルつけてんのかよ。もういいよ、こういう過剰に説明的なヤツ。バカにされてる感しかしねーし。え?何?これ元々あるんだ、じゃあイイ。OK、OK、問題なし。全っ然問題ないわ。そう言われたら品あるよな、このタイトル。「あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。イケてる。ちょうイケてるよ。「あるいは」ってところも、「(   )」でくくってるところもオシャレ。まあちょっとスイーツなカンジあるけどさ。「予期せぬ奇跡」ってさ、なんつーか季節外れの雪が降ってくるカンジあんだよ。キラキラーつって。よく分かんねーけど。ん。ああ。OK、OK、じゃあちょっと観てくるわ――



……おいおい、ヒドいよな、このサブタイトル。いや、違うよ。イイ意味でだよ。そうきたか!と笑っちゃったよ。ヒドくて最高。まさかなー。いやまさかだわー。「あるいは〜」つって、これ褒めてるようで基本褒めてねーと思うし。ブラックジョークすぎるし。いやしかしさ、パラノイアのおじさんが意図せずしてヒーロー的なことになっちゃうのって、ちょっとスコセッシぽいよな。タクシードライバーとかキングオブコメディとかそんなカンジ。劇中、意図的に名前出してんのかな。たまたまかな。ま、それはいいか。とりあえず、俺、マイケルキートンが劇中で舞台化しようとしてるレイモンド・カーヴァーの短編小説、『愛について語るときに我々の語ること』を先に読んでたんだよ。でもさ、このサブタイトルじゃん?だから、愛に対してスイーツな味付けされてんのかなあ?とちょっと思ってたんだよ。だから、余計に「ヒドくて最高!」ってなったかもしんねーわ。でもさ、まんまなんだよな、カーヴァーの短編のまんま。カーヴァーの短編とこの映画の語る「愛」は、対象が違うだけで本質的には全く一緒なんだよ。ようするにさ、カーヴァーは対「人」への愛の有り様について書いてるわけじゃん。一方、この映画は「演じることへの愛」について語ってるわけ。「誰かや、それどころか、自分を不幸にしてしまうかもしんないけど、止めることの出来ない狂気を帯びた純粋な愛」ってのは一緒なんだよ。あ。ちょっとごめん。すぐ戻ってくるから。ちょっと待っててごめんごめん――



あーごめんごめん。どこまで話したっけ。まあいいか。じつはさ、俺、この映画、基本的には「釘付け!」ってカンジじゃなかったんだよ。とくにさ、1カット推してっけど、カット割ってるとこ丸分かりだしさ、例えば、登場人物が階段の踊り場にいって背を向けるたびに「勘弁してくんねーかな」ってなってさ。結構ノイズだったんだよ。いや、ラストは結構アガったんだよ。ラストちゅうか、あの辺からよ、あの辺、「あるいは〜」のとこから。そんなカンジだからさ、トータルでは弱いかな?と思った。でも、アカデミー作品賞受賞したわけじゃん?これがスゲーなと思ってさ。いやこれさ、アカデミーの是非つーことじゃねーんだよ。つまりさ、これはもう実世界における受賞まで込みで作品てカンジなんだよ。結局さ、1カットつってアレでしょ?演劇に対する憧れでしょ?でもそれに関してはさっき言った通り成功してないと思うんだよ。でもさ、頑張ってやったんだよ。そして、自分らで自分らに賞を上げたんだよ。このさ、なんつーかハリウッドからブロードウェイに対する「俺らもマジでやってんだよ!!!」アピールつーか、でも、なんか追いつけてない感ってのがさ、面白いなーとなったんだよ。皮肉だよなーつって。だから、ふと、よぎりもしたんだよ。もし、実世界においてこの作品がアカデミーにかすりもしなかった場合はどう感じたんだろう?っての。それはさ、はっきり言って俺は大好きだなーってなった。でもさ、アカデミー作品賞取れなかった時の魅力ってのは、結局、受賞したところからの逆算的なものでしかないから、やっぱ受賞してるって結末が最高なんだと思うわ。ハリウッドのセルフボースト感みたいなのもさ、なんかイイじゃん。でもやっぱ批評的なんだよ。「つまんなさ」があるおかげで。「つまんなさ」があるおかげでアカデミー賞に対して批評的になってんだよ。しかし、ここまでメタメタしてるとズルさあるよな。「つまんなさ」にさえ意味づけ出来るんだから。でも、そういうの俺は好きなんだよ。観終わってから何度も何度もシガシガ噛み続けてて味わってるカンジっていうのかな――