「インヒアレント・ヴァイス」

インヒアレント・ヴァイスを観た。のだが――果たして俺はこの映画を「観た」といっていいのだろうか?なぜなら、俺は上映時間の大半をウトウトまどろみながら過ごしたからだ。どんな内容だったのかを思い出そうとしたら、ビッグフットがアイスをチュパチュパ食ってるところばかりが頭に浮かんでくる。勘弁して欲しい。それにしても、睡魔と闘いながら過ごした時間が終わりを迎えた時の爽快感、あれは一体なんなんだ。勘弁して欲しい。しかし、その爽快感は一瞬のもの。眠気はすぐに蘇り、どころか以降半日ずっと続いて、家に帰ると速攻ベッドに潜り込む始末。結果、普段じゃありえない時間に目覚めて今現在の時刻は午前4時ってわけだ。
インヒアレント・ヴァイスはつまらなかったのかって?そんなことはない。相当面白かった。のだろう。仮定になってしまうのは仕方ない。なぜなら随分長い間まどろんでいたのだから。トートロジー?いや違う。これはエントロピーの一環だ。


映画館で「マグノリア」を観た時、いまいちノリ切れず、しかし、随分時間が経ってからDVDで観直してみたら、その面白さに圧倒された。だから、俺は全く心配していない。たった一度の観賞で「面白くない」と断言するのは不遜すぎるし、大体、「マグノリア」になぜノリ切れなかったのか、またはなぜ面白さに圧倒されたのか、その理由は未だによく分からず、そもそもそのことに関してそれ以来深く考えてもいない、じつに程度の低い俺のような人間が、ああだこうだとやかく言う資格なんて、ない。それに俺は「面白かったと思っている」と言っているじゃないか


さっきまで俺は夢をみていた。パートナーと一緒に歩いている夢。クラブで遊んだ帰りなのだろうか。朝方、バスから降りて、ひと気のない街を二人歩いている。どうやら彼女のアパートへ向かっているようだ。歩道の隅には、業者がまだ回収していないゴミ袋の山と、少しの雪が残っている。「何か甘いものを食べたいなあ」という話になり、コンビニと八百屋が合体したようなお店に寄って、ロールケーキ型のアイスクリームとヤマザキイチゴスペシャルを買って帰る。どっちも表面の生地がパサパサしている。場面が変わり、彼女はカメラに背を向け一人でシャワーを浴びている。あぐらをかいて頭を洗っている。クローズアップ。モノローグがはじまる。彼女は「選ばなかった選択」について語っている。なぜ一人でシャワーを浴びているかについては語らない。ただ、別の選択の可能性があったことについて語っている。夢の中の彼女のあり得なかった選択肢は今まさにここに、在る。


俺は同じ本を何度も読むことは滅多にない。しかし、インヒアレント・ヴァイスは2度読み、そして、これから何度も読みたいと思っている。PTA監督はピンチョンの世界観を忠実に再現していると思う。素晴らしいと思う。ただ、俺が読みながら頭に浮かべていた映像とは違っていたという話だ。俺がみていた映像はもっとトリップしていた。酩酊状態とシラフ状態の境界線がマーブル模様で入り混じっていた(インヒアレント・ヴァイスにシラフの時間なんてあるのかって?確かに不適切だ。だから言いなおそう。「パラノイア寸前の強烈にグルーヴィな酩酊状態」と「ちょっと“一巻き”ひっかけた程度のグルーヴィな酩酊状態」の2種類に)。トリップといってもプッシャーに生殺与奪の権利を握られた奴隷のような男がたどるみすぼらしい旅じゃない。インヒアレント・ヴァイスはロサンゼルスの醸し出すヴァイブスの力で、大体いつも思わず笑ってしまうバカバカしさに溢れている。だからといって、ただただバカバカしいだけではなく、その裏側にある切なさや不条理さがチラチラ見え隠れし、そして、それらの要素はバカバカしさとの対比で深い色を成し、加えて、時にはそれら全ての要素が明確に割り切ることが出来ずに塊で迫ってくることもある。エロいのか笑えるのか痛々しいのか切ないのか怖いのかなんなのか分からない感覚。まさしくエントロピー


おいおい。こんなにクローズアップが印象に残るものになっているとは。これは全くの予想外――


俺の脳みそは恐竜なみの超低価格の超低スペックモデルだ。その為、すこぶる記憶力が悪い。今朝食べたもの、それどころかさっき食べたものさえ記憶に残らない。そのせいで得することもあれば損することもあるのだが、じゃあこの度の強烈な忘れっぷりはどうだったんだろう。なにせ、映画を観終わっても尚忘れていたのだから。まさか、夢を経由して思い出すなんて。


何のことかって?


スポーテッロは大きな尻尾が邪魔な時代遅れのヒッピーだってことだ。