「チャッピー」

なんて可愛い映画なんだ!!!!


ネタバレはしてますかね。具体的に何が起こるかは書いてないけど。


人工知能を植え付けられたイリーガル警官ロボ・チャッピー、そして、彼を育てることになるDQNカップルのニンジャとヨーランディ、加えて、彼らと行動をともにするアメリカ――これら主要メンバーの皆さん、超絶に可愛いです。そう、なんだか蔑ろにされそうなカンジがするのでここは強調しておきたい。アメリカもちょう可愛いです。忘れないでいて下さい、アメリカの可愛さを。というか、彼がバランサーとして存在していることによって、あいつらの可愛さ5割増しになっていると思います。ほんっとこのDQNチーム、たまりません。つって、他の登場人物等も抜群に可愛いのですが。近頃すっかりヤなカンジの鹿賀丈史系ババアキャラが板につきまくりのシガニーウィーバーの可愛さ。DQNのアジトを双眼鏡で覗くヒュージャックマンの可愛いさ。そして、ヒュージャックマンの作ったロボ!あんなただただデカいだけのバカマシそりゃあ失笑もんやで失笑もん的可愛さ。そして何よりもオープニングの可愛さ。なんと「第9地区」と全く同じ!最高!監督の潔さが可愛すぎます。ワタクシ、冗談抜きでブロムカンプ監督は今後ずっとこの手法で映画をつくっていって欲しいなあと思ったのです――


――オープニング、ニュース番組かドキュメンタリー番組か、なんかそういう類の番組で専門家がコメントしてるシーンで始まるねん。で、「まさかこのプロジェクトがこんなことになるとは……」みたいなこと言うねん。で、「18ヶ月前」というテロップとともに、ヨハネスブルグのスラム街の空撮が入るねん。そこまでは全部一緒。で、そこからは作品によって軸になるキャラは違ってくるねん。「第9地区」やったらエビ型宇宙人やん?で、今回は人工知能を持ったロボットやん?次は悪魔とかええんちゃう?次の次は子供のサイズのまま老人になった超能力者とか?とにかく、そんなカンジで、ヨハネスブルグを舞台にして、普通の人の心を持った異形の者たちのお話をシリーズ化してって欲しいなあ――と。


まあそんなこんなで。
この映画、人間の愛おしさとか愚かさが軸になってて、だから、公開前に話題になったゴアシーンカット問題に関しては、「他の作品ならいざ知らず、この内容なら、沢山の人にみてもらう為にカットするのは全然イイかも。というか、ソニーもあらかじめ監督にそういう風な説明してたら多くの人は納得したかもしれんよなあ。しょうもない誤魔化しするからあかんのやろ。でも、まあまあまあまあ」ってカンジでした。つか、正味な話、「不自然なカットっぷりもちょっと可愛かったよな」となるぐらい、ほぼほぼ全編可愛さにヤられて観ていたのですが、そのせいでしょうか、ワタクシ、終盤の展開に心底驚愕したのでした。え!?こんなことになるの!?と。意図的かどうかわかりませんが、そこまでの「ヒューマニズム」が煙幕効果出しててホントに驚愕。

どういうことかというと、この映画、「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」との問いに対して「いや……普通の羊の夢をみますけど」と返答してるというか、いや、逆か、逆だな、逆パターンで「人間が見てるのも電気羊なんですけど……」と言ってるような気がします。そう。逆なんだよ、逆。手塚治虫先生がいうところの「ロボットだって人間だ!」の逆でさ、「人間だって電気信号だ!」ってカンジなんだと思う。でも、そこからもう半周して「電気信号だって人間だ!」なんだよ。何を言ってるか分からないかもしれませんがそういうことじゃないでしょうか。違うか。分からん。
しかし、終盤のちょい手前までは普通に「人間とはどういう文化を持つものか」みたいな話だったのに、いきなり急ハンドルを切って、「人間の意識とは何か」という深い深い深い深いところにいく。スゲーよね、このスライド感。素晴らしいです。マクガフィンがワチャワチャしてたり、終盤は「え?もっと別の解決策ないっけ?」感あったり、つか、ヨーランディもなんだかんだいって強奪いくんだ(笑)ということもあったりして隙はありまくるんですけど、勢いがイイカンジで作用して不思議と全然オッケーでしたね。


可愛さ恐るべし。