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〈内容シャットアウトしときたい方は読まないでネ。注意しといたんで〉


はい。そういうわけで。
オールタイムベスト級の傑作が誕生したね(キッパリ)

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なんて張り切って言ってみましたが、実は観終わった直後、どこがどう面白かったのかを自分ん中で把握できなかったんだよね。もちろんさ、構成のタイトさ、会話のグルーヴ感、音楽のセンス---それらの素晴らしさは当然のこととして在りますよ。そんなもんは大前提。なんていうかさ、この映画にはそれ以上の何かがあるような気がしてモヤモヤモヤモヤしたんだよ。というか、それ以上の何かがあるからオールタイムベスト級だ!と思ったわけなんだけど。


で、帰りし、一緒に観た方と意見交換してみたわけ。


「それにしても、ショーンの弁舌メチャ燃えへんかった?あのシーンはかなりテンションあがりましたわ。どうせやったら1トンのメカジキ釣らんとあかんよな!!ってなりましたわ。」
「ハア??なに言うてはるん。そんな巨大な魚おるわけないやん。ちゅうかアイツの胡散臭さ際立ってるやん。あそこはエドゥアルドの気持ちになってハラハラ&イライラしっぱなしやったわ」


……
なるほどそういうことか……

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今から、この映画に対して様々な感想が書かれるんだろうな。
様々な感想。
そう、様々な感想書かせるってとここそが今作のキモだよ。

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まず、先の会話の議題に挙がったシーン。
急成長を遂げるfacebookにIT業界のヤマ師・ショーン・パーカーが接近してくるシーン。このショーンっていう男が本当胡散臭くてウゼー男なんだよな。なんかさ、いっつもカワイイ女の子連れてるしさ。ほんとなんなんだよ。
まあそれはさておきよ、第2パートでショーンが登場、彼とザッカーバーグが邂逅して以降、主人公と彼の旧友であるエドゥアルドとの関係に亀裂が走っていきます。映画でこういう「友情or名声」ってなるとさ、ま、例えば「結局友情をとりました」とか「痛みを伴って名声とりました」ってなるのがフツーじゃん?でもさ---この映画ではその辺の描写が、一般的な映画と比較しますと微妙に、いや、微妙じゃないわ、大きく違う。

どういうことかっていうと、旧友のエドゥアルドには資金調達能力が無いことと、逆にショーンはそれがメチャ長けていることを、ウェットな視点交えずフラットに描いてるんだよな。だから、一概に「エドゥアルドを大事にしてやれよ!」とは言えないし「ショーンの野郎マジウゼー!いつもカワイイ女の子連れてるし!」とは言えないように描いてる。ってやっぱ、カワイイ女の子連れてることはどうしても許せん。


【追記】っていうかさ、改めて考えると…そもそもザッカーバーグエドゥアルドって親友なのか?うん??序盤においては…全然そんな風に描いてなかったよな。なんたることだ…完全にフィンチャーマジックにかかっていたよ。おそるべし。

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そういう風に考えるとさ、オープニングでいきなしザッカーバーグアスペルガー症候群っぷり炸裂させるのもよく出来てる。全然人の話聞いてないし(「聞けない」というのが正確かな)、だから、人としてどうかと思う発言連発しまくってさ、挙句泥酔して最高にゲスいサイト立ち上げるわけじゃん。とても主人公とは思えん、見事なまでのヤなヤツっぷりだよね。

主人公なのに。
冒頭で。
「ヤなヤツ」って印象植え付けとく。

でもさ、そこにリア充ボート部兄弟が絡んでくるとさ、一転、今度はザッカーバーグに気持ちが寄り添うようになるよね。寮でカタカタハッキングしてるナード達と、会員制クラブに所属しこの世に存在する中でも最上級に部類する快楽貪ってるような奴ら、どっちに肩入れするかっていったらさ---

前者に決まっとるやろ!っていう。

「なんやねん、このジョックス兄弟。ナードナメんな。これは革命じゃ!お前らに対する革命じゃ!システムブチ壊せ、ザッカーバーグ!」ってなるよね。なるよね…なる…なるんだけどさ、いざバトルが始まったらさ…今度は兄弟のほうが全然紳士的な態度取ってて困惑するんだよね。つかさ、よく考えたら、彼らも勿論ハーバード出身だからさ、タダの筋肉バカじゃないし…なんか…良家の御子息だけあって結構真っ当なんだよね。ワタシのような人間なぞ本当ゴミムシに思えてくるぐらい立派な方々ですよね。


だから、「ナードVSジョックス」「非リア充VSリア充」っていう構図もさ、先に挙げた「友情or名声」と同様、単純に極を分断して語るべきもんじゃない。って、イヤ逆か、逆だな。分断して、でも、それぞれの主張をきっちり述べてんだよね。それってさ、例えていうと和解前提では無く裁判をすすめてるようなモンだよね。つまりは、「腑に落ちる」もしくは「腑に落ちない(といっても逆説的に腑に落ちる)」ことを前提として、話を---進めていない。フツーの映画はなんらかの着地点を用意するじゃん。でもそれをしてないんだよね---スゴくない?

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映画ってさ、よく言われるけど、現代社会における神話みたいなものじゃないですか。神話である以上、直接的にしろ逆説的にしろ、善きこと悪しきことを説くもんだと思う。でもさ「ソーシャル・ネットワーク」ってそういう「二律背反」みたいなのをブチ越えてると思う。意図的に。つかさ、ザッカーバーグがそういう男なんだもんね。「純粋」とかっていうのもまた違うんだよな。アレはなんていえばいいんだろう。いやまあアスペルガー症候群なんだけど
そういう意味で、今作って新しい神話だと思う。ってこれはスゲー変な言い方だよな。だって善悪を判断する神は死んじゃって存在しないんだもの。神無き時代において神話級に凄まじいことを成し遂げた男の話。