「ハーブ&ドロシー」と「冷たい熱帯魚」

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というわけで、初の感想2本立ては異色の組み合わせ。

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まずは「ハーブ&ドロシー」。


至極フツーーの生活してるハーヴィー&ドロシー夫妻、実はこの夫妻、現代美術のもんのすごいコレクターで---っていうお話。
これがもうたまらんかった。落涙しまくった。
とりあえず、夫妻のつがい感に萌え死ぬ。見た目がかわいすぎる。ちっちゃい夫妻が、二人だけでNY市の危険な一角まで足を運び、アーティストと直接交渉するとか本当たまらん。


んで、夫妻が美術品を購入するときの基準が素晴らしいんだな。


好きか嫌いか。
自分たちの収入の範囲のものか。
そして自分たちのアパートに入る作品か否か。


それを基準に美術品を買ってく。
今や、美術品ってさ、彼らの理念と真逆のところで動いてたりするわけじゃん。ロジックが先行してさ、好き嫌いはさておき投機目的で買ったりしてさ。イヤな世の中だよね。そんな本質を見失った世界の中で、夫妻がアートシーンに関わり続けたのは本当奇跡だと思うし、なによりアートシーンの良心だと思う。

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でもさ、こういう話になるといっつも書いてることがあるんだけど、アートと向き合う時って、感性だけではダメなんだよ。


「アートに言葉はいらない」とか言うじゃん。それは真実だと思うよ。うん。でも、それは「西洋美術史の世界の中」にいる方のみが唱えてイイ言葉だと思うの。日常の中に西洋美術が溶け込んでる世界の住人にのみ許されてる行為。それに該当しない人は安易に「感性」「感性」って言っちゃあダメ。勿論、非西洋社会に暮らす我々も安易に言っちゃあダメ。我々は一度は学ばなければならないと思うんだな。そこ勘違いしてる人が多すぎる。我々は非西洋社会に住んでるんですよ〜〜。ご存じですか〜〜。我々は彼らが血肉としてるグルーヴを持ってないんですよ。学んで、ようやく彼らと同じ土俵に立てる。で、その後、それらの知識を全部忘れて、ようやく感性で触れることが出来る(私はこれを人知れず蒼天航路のジュンイクイズムと呼んでおります)。


日本はその辺ちゃんとした教育を施さないからさ、脳みそも努力も足りてない、だけど自己顕示欲だけは肥大しまくったアーティスト気どりのヴァカがゴロゴロ出てくるんだよ。

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つかさ、ヴォーゲル夫妻って、あくまでごく普通の夫妻なんだよね。旦那は郵便局員、奥さんは図書館司書、全然フツーの収入。それで美術品を蒐集するとなるとさ、どんだけ生活きりつめなあかんねんっていう話です。その点においてもアートに対する気概ハンパない。もう一度いうけどさ、自己顕示欲を満たすためだけの理由で、全くリスクを払おうとせず、言っちゃえばオナニーの代替品としてアートに関わろうとしてるヴァカとは大きく違うわけよね。
そして、そして、それと同時にアタマをよぎる事象、つまり、彼らは所謂ゴミ屋敷の住人と紙一重だっていうことなんだよね。行為の質としては一緒。感動を生む行為っていうのは過剰に大衆に寄り添ったところにあろうはずがないんだよな。いや、無いこたあ無いんだけど、やっぱ個人的には一線越えてるカンジっていうのが一番グッときちゃうよね。俺も頑張るよ!って思うもん。うん、本当素晴らしい映画だ。

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続きまして「冷たい熱帯魚」。


実は、今作、いち早く観てた英国人に感想聞いてみてたんですよね、「面白かった?」つって。そしたら、

「フツー」

っていう返事貰ってたんですよ。
ビビりましたね。

「え?え?フツーなの?『愛のむきだし』と較べたらセンセーショナルなお話だと思ったんだけど…フツーなの?」
「うん。フツー。」

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なるほどなあ。「フツー」か。
いわんとすることは解るような気がする。つまり、今作は「愛のむきだし」みたく、いびつなルックスのまま凄まじい馬力で突き進む映画ではないし、同じ実録犯罪モノでも韓国映画が醸し出すテイスト−強烈な後味の悪さ−とは違うわけで、ようは一流のエンターテインメント作品だということだったんだろうな。


とにかく、皆さんおっしゃってることですが、でんでん演じる村田さんのポップさがハンパないね。まさに「村田劇場」と呼ぶに相応しい。最高すぎます。というかさ、ああいうオッサンいるよね。優しい物言いと恫喝を使いこなして人を奴隷にしていくオッサン。私、大学時代の知人に騙されてマルチ商法の集会に連れていかれたことあるんですけど、そこのボスのオッサン、あんなカンジだったよ。その知人、ボデーを透明にされちゃってないかな。心配だな(棒読み)。というかさ、そんなところに連れていきくさった段階で知人でもなんでも無いけどさ。アレ?そう考えると社本さんの置かれた立場って全然遠くないな。


というか観終わった後、はたと我に返って思ったんだけど、村田さん実在したんだよね。つか、実在のほうの村田さん、「殺人オリンピックあったら俺はチャンピオン」とかさらにキチガイなこと言ってたわけで、ホント日本トチ狂ってるよね。その辺のパンチライン抜いたのは、アレかな、ポップさを強調するためなのかな。というか、今作はことさら「殺人オリンピック」具合を強調する映画では無いっていうことかな。


そう考えると村田さんの素晴らしい説法、そしてそっからの展開の意味がより浮き彫りになってくるなあ。そうかそうか、今作はエキセントリックな表現のみに特化した映画じゃないんだ。
村田さんによる説法。現代日本人の象徴のごときなまくら男の社本さんの覚醒を促す強烈な説法。あそこから急転直下で、日本社会が誤魔化し誤魔化し作りあげてきた体裁だけの世界が浮き彫りになってくるもんなあ。ようはそういうことなんだな。「冷たい熱帯魚」は、日本の社会がいかにクソまみれになってるかを見事に描ききった非常に真っ当な映画なんだな。

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そんなこんなで「冷たい熱帯魚」を観終わったあとは、なんというかポジティブなヴァイブスを感じ取ってしまったのです。それはどういうことかといいますと、1.現代日本社会の歪みを明確に捉え、2.そしてそれをぶっ壊し、3.最終的にはそのぶっ壊し行為すら無効化しちゃったからです。

実は「ハーブ&ドロシー」と「冷たい熱帯魚」を観て、共通して感じたことがあって、それはなにかっていうと『男がウダウダ哲学的な言葉吐いてる横で、女性は直球で真理に到達してるものだなあ』ということでした。とだけ書いておこう。

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あ、あとさ、「ハーブ&ドロシー」でさ、『動物を可愛がる人はアートの造詣深い』っていう、ナゾの主張が語られるんですけど、これ、「冷たい熱帯魚」観た後なら、確信持っていえるよね。『動物を可愛がる人はアートの造詣深い』は正しい。なぜなら村田さんもそうだからだ。彼の説法&解体作業はアートの域だもの。なんて、これは勿論単なるこじつけだけどさ、「ハーブ&ドロシー」と「冷たい熱帯魚」の共通項として、
理の外にいる者こそが、この世の真実の姿を突いてくるのかもしれない。とも思いましたよ。

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しかしまあ「冷たい熱帯魚」の村田さん最高だったなあ。個人的に最高だったのは、村田劇場終焉したとみせてからの「お尻…お尻…痛い…」でした。素晴らしいね。