マイ・バック・ページ

(実は現段階ではいまいち感想がまとまってなくって、もう一度観てから感想を書きたいところなんだけど、観ることの出来る劇場が結構アレな為(広さの割にスクリーンが異常に小さい)、再見はDVD待ちに決めました。というわけで今現在の記録として。あ。とりあえず先に書いときますけど、「感想まとめる為」っていうことを抜きにしても「もう一回観たいな」と思える良作だと思いました)

                                                                  • -


朝日新聞に勤める妻夫木君はとってもおセンチ。身分を偽ってフーテン連中に紛れ込み、実録ルポを書くものの、上層部からは「感傷的だ」と怒られてしまう、そんなカンジの、なんていったらいいのかな、わりと真面目な青年です。そんな妻夫木君がですね、過激派(と思しき)学生運動家と出会って――というお話。

                                                                  • -


まず、妻夫木君イイですね。未見で申し訳ないのですが「【悪人】のラストがイイ!」という噂聞いているのですが、「なるほど。それは解る気がするぞ」と納得出来る良さでした。
そして。もう一枚の看板、松山ケンイチ君。いやー、こちらも良かったです。というか素晴らしかった。絶妙なキャスティングでしょ、これ。田舎モンぽさを多分に残しつつ絶妙な塩梅の都会感を醸し出す松ケン君。上京したての大学生が間違えて身につけちゃった都会感といいますか、まあ、そんなカンジのヴァイブスまとった彼がペラい左翼活動行うわけなんですが、これがもう見事にハマっています。

論破されかかったら突然論旨をほっぽらかして「う…うう…わかった!君は…敵だ!敵だな!!」と狂人めいた罵りをはじめる。ウソついて妻夫木君の上司からお金借りた(っぽい)ことに話が及びそうな気配を察したら、先手を打ち「あ。そういえば上司の方メチャイイ方ですね。活動の話したら向こうからカンパさせて欲しいって言われちゃいましたよ!」と澱みなくウソをつく。

仲間を売ることはへっちゃら。自分はリスクは払わない。もし成功すれば全部オレのもの。もし失敗すれば全部ヒトのせい。本当に最低のクズ野郎。で、大事なポイントは、松ケン君にはホントはなんのイデオロギーも無いというとこ。彼のド汚い行動はマキャべリアンのソレではないのです。目指すべきゴールは無いんだからね。ただのバカなんですよね。ホントね、今作が事実に基づいたお話だとすると「いかにして左翼運動が衰退してったのか」っていうのがよくわかります。松ケン君みたいな憂国精神の欠片も無い、ただのファッション、ただのオナニーとして活動してったヤツらが左翼活動のイメージを作り、世間から嫌悪されてったんでしょうねえ。

                                                                  • -


じゃあ、松ケン君に対して妻夫木君はとても立派なジャーナリストだったのか?っていうと――全然そんなこと無いんですよね。彼は「ジャーナリズム」に殉ずる気概持って仕事に取り組んでいたかっていうと――否。

例えば、命の危険に晒されている人がいた時、手を差し延べるのでは無くカメラを向けてしまうというのがジャーナリズムの本質なのではないでしょうか。本質じゃないにしても絶対つきまとう問題ですよね。ジャーナリズムってある種の下衆さを内包してる。

でも、妻夫木君は全然潔癖なんですよね。冒頭述べたように、彼は、身分を偽ってフーテン連中に紛れ込んで書いたルポに対して、上役から「感傷的だ」って言われちゃう。と同時に「ただ事実を伝えろ」って言われちゃう。不満気な態度をとる妻夫木君。でもさ、この上役の発言ってさ、ジャーナリストとしては至極正しいと思うんだよな。つまり、彼は元々堕ちる覚悟は無かったんじゃないか。本質を捉えること無く活動してたんじゃないか。それってねえ――

                                                                  • -


さて。ワタクシは先に【「いかにして左翼運動が衰退してったのか」っていうのがよくわかる】って書きました。しかし、これは改めて考えると【いかにして左翼運動は衰退させられていったのか】と考える必要があるのではないか、とも思うのです。

どういうことか。それは、松ケン君の卑小なカリスマっぷりを強調すればするほど、それが作者の言い訳に映る部分があるということです。


全ては松ケンのせい……
ボクがあの時若かったのも悪いけど……
でも……解るでしょ、解ってくれますよね……


それって結局『自分は何もしていない。周りのヤツらが勝手にやっただけ』と真顔でのたまうイデオロギー無きクズ左翼と同じ行為かもしれないですよね。
妻夫木君は通過儀礼は果たした。真のジャーナリストになる機会はあった。例え、例えよ、会社をクビになろうが逮捕されようが、そんなもんジャーナリストにとっては全然関係ないよね。むしろそれぐらいの瀬戸際にいてこそ真のジャーナリストたり得るんじゃないかな。でも、彼がどうしたかというと――。
オープニングで妻夫木君と一緒にテキヤやってたタモツ、彼は―具体的には描かれないけど、おそらくすったもんだあったはず、でもその末に―地に足ついた生活を送ってるわけです。彼の人生と比較すると余計こう感じてしまいます。「松ケン君も妻夫木君も全然机上の空論だけでチャメチャメやってるだけにしか見えんわ」と。そんなチャメチャメやってるだけの人の言葉を全面的に信頼できるかというと――ねえ。


【追記】上手く説明出来てるかわかんないんでもう一度書いとこうか。妻夫木君は、上司から「感傷的だ」「ただ事実を伝えろ」と言われたわけですよね。それってさー、マイ・バック・ページ」という作品そのもの当てはまってはいないか?ということなのです。いやなにも、感傷的に描くことに対して、全面的に「否」というつもりはさらさら無い、し、面白いと思えることもある。でも、それによって、何かが歪められてしまっている可能性を考慮すべきではないか、ということです。


まあ、というわけで、そんなこんなを色々考えてしまう良い映画だと思いました。

 
【追記2】柳下さんのtweetみて知ったんですけど、「マイ・バック・ページ」の原作って、松ケン君の主観視点はイッコもないんですね。柳下さんは松ケン視点があることによって「ブッキーが馬鹿にしかみえない」っておっしゃってましたけど、うん、結局そこにノレるかノレないかっていうのはありますよね。上述のようにワタクシ的には「皆ハンチクな馬鹿でイイ」と思った口です。でも、原作のままだったらもっと良かったかもなー、とも思いました。原作のままのほうがワタクシの大好きなパターン、「青春の光と影」「イニシエーションを経て、コドモ時代と決別しオトナの仲間入りする」お話として見えたのかなー、というか原作はそういうお話なのかなー、と色々思いました。うむ。うむ。でもさ、なんだかんだ言うて、ワタクシの中の「あの時代の人達」のイメージって「映画の中のあの人達」のイメージだったりするんだけどね。

                                                                  • -


(※)71年って「人道にもとる行為かもしれないけど情報ソースは秘匿する」っていう価値観生きてたんだね。っていうか、今、その価値観死んじゃってるっぽいよなーっていうことの恐怖。マスコミが権力と闘ってるっていう感覚無いよな。権力の犬に成り下がってる、というか(以上述べてきたように)本質的に下衆い部分持ってるくせに世界を動かしてるような顔して何様のつもりやねんぐらいの認識だよな。71年ってそんなに昔のことじゃないのにねえ。でも、逆にいえば今のクズみたいなマスコミの有り様も変えることが出来るかもしれないっていうことなんだよね。もっと頑張ろうぜ、マスコミ。

(※)妻夫木君、松ケン君以外のキャスト皆良かったですね。本当に皆良かった。個人的には古館寛治さんが大変良かったです。オシャレ。

(※)美術、気合い入っててよかったですね。重たい質感のスーツみると「おお。70年代」って思うよねー。妻夫木君のスーツだけ惜しいなって思ったんだけどまあ已む無し。音楽も良い。って全部イイじゃん!

(※)冒頭、新宿のだだっ広い開発地が映るのが超良かったッス。「野良猫ロック 暴走集団'71」オマージュですかね(←シリーズあってるかは微妙)