ワタクシのような人間が映画の感想なんて書いちゃったりしてホントすみません―「川の底からこんにちは」―

ワタクシ、なんの因果か、このような形で映画の感想を書かせて頂いているわけですが、あのですね、自覚はあるんですよね、自分のことを客観的にみてですね、「何言ってんの?」と思ったりすること多々あるんですよね。「ろくすっぽまともな文章書けないのにホント申し訳ありません」と思ったりすること多々あるんですよね。ちょっと前に書いたモノを読み返すのなんて、完全なマゾ行為でして、そんなことしようもんなら恥ずかしさのあまり「オエッ……」となること間違いないですから(だから、滅多にそんなことしないのですが、なんといいますか、自分の排泄物を恐る恐るチェックするというか、まあ、たまにはそういう時もあるわけです)。ワタクシ、そんな人間なわけですから、時代を超え得る美文をサラリサラリと紡げる方が羨ましくって仕方ありません。所詮、ワタクシなんて「中の下」なのです。
あ。すみません。そういうと「中の下」の皆様に申し訳ないですよね。ワタクシみたいな者が「中の下」を名乗るなんておこがましすぎますよね。すみません。でも。でもです。あんまし卑屈になりすぎるのも、それはそれでイヤラシイじゃないですか。「そこまでじゃないよ☆」という慰めの言葉を待ってる的な?「それ、不幸をダシにしての自分アピールですよね。アナタ、その状態に酔ってるだけで、実はあんまし不幸感じてないですよね」的な?なんかあるじゃないですか、そういうの。あからさまにそういう状態の方をみると、正直アレじゃないですか、イラッとするじゃないですか。だからです、ワタクシが自分のことを「中の下」っていうのはですね、ワタクシ的にちょっと高めに見積もって「中の下」って言ってるわけでして、調子こいて「中の下」って言ってるわけではないのです。いやホント生意気な口聞いてすみません。
しかし、たまにはそういう「自己愛のかたまり」みたいな方をみて羨ましく思うこともあるのです。実は、ワタクシが勤めている会社の専務もそういうタイプでして、ガイガーカウンターの針が振り切れて機械が爆発しちゃう級のバカなんですけど、自分は天才、なんなら「神のたぐい」だと思ってらっしゃって、ようは、バカの自覚がない最も罪深いバカなのですが、そういう方をみると、しみじみ「ああ。人生幸せそうだなあ」と思ったりすることもあるわけです。でも、同時に必ず「謙虚に生きなきゃダメだなあ」とも思うわけなんですけど――なんて、ちょっと上から目線になっちゃってますよね。ホントすみません。ワタクシみたいな者がホントにすみません。だってね、なんだかんだウダウダ言ってますけど、所詮、ワタクシなんてですね、そんなアホの一族が経営する、いつ潰れても全くおかしくない、地方のしがない中小企業に雇って頂いてる身分ですからね。このご時世に仕事させて頂いているわけですから大変有難い話ですよね。仕事があるんですから全然最底辺じゃないですよ。


中の下ですよ。中の下。
中の下。中の下。中の下。


でもさ……
やっぱ色々キイイイイイイイ!!!ってなることあるよ!!!

【あらすじ】
主人公の佐和子さんは上京して5年目。あらゆるモノゴトに対してチョー流れに身をまかせる傍観者的人生を過ごす日々でしたが、ある日、お父さんが入院したとの一報を受けまして、しぶしぶ、実家へ帰って家業のしじみ工場を手伝うことになり―――


チョー面白かったです(※1)。
上述のような心持ちで人生挑んでるワタクシにとっては相当グッとくる映画でした。しかし、なんなんでしょう、この映画。フシギな魅力があるというかなんというか。


今作品、画質が粗く、ライティングも弱くって、見た目の印象はとってもチープ。演出面でも「さすがにこれはねーだろ」と思うところがあるわけですが――具体例を挙げますと「いくらなんでもそんな社歌はないよ」とか「いくらなんでもそんなオモチャ、試作作るまでもなく企画段階で却下だよ」とか「いくらなんでもそんな赤ちゃんコトバないよ」とか思ったわけですが、それらの―フツーでしたらマイナス要素でしかない事象―が、奇跡的な塩梅で混ざり合い、結果、良い方向への科学反応が起こっているなあと思いました。社歌に関しては「ありえないよ」と思いつつ笑ってしまいましたし。悔しい(※2)。

音楽もそうです。音楽そのものの使い方もちょっと古臭い印象受けたのですが、結果的には絶妙にイイカンジになってるなあと思いまして――ってようは、そういうことでして、例えるならば、平日深夜にテレビつけっぱにしていたら「CHINEMAだいすき!(※3)」やってて、『ふーん。今日は80年代の邦画やってるんだ。全然知ってる人出てないなあ。しかし、アレだなあ、80年代の映画って、洋邦問わず線が細いっつーかなんつーか、独特のペラさあるよなあ』なんて思いつつ、ハナクソほじりながら何気にみていたら、思いのほか面白く、次第にのめり込みんじゃって最終的には完全にロックされちゃってた――ってカンジです。


ちなみに、出演者の皆さんも絶妙な塩梅で、おじさんおばさん総じて、なんとも独特のフィクショナルなヴァイブス発してらっしゃるのですが、最終的には「デフォルメはされてるけどああいう人っているよなあ」と思わせてくれてます。バツイチのポンコツ野郎なんて、一見、実在などありえなさそうにみえて――やっぱ実際いそうです。というか、絶対います、ああいうポンコツ

今作の出演者の皆様のメンツって、なんといいますか、125cc以下のバイク、それも大半は50ccで、さらにいえば昔のJOGとかがズラリ並んでるようなカンジなのですが(失礼)、そん中に一台だけハーレーダビッドソンが混じってるわけです。そう、いまや若手女優代表格ともいえる満島ひかりさんがポツネンと配置されてるわけですが、満島さん、基本的にはハーレー的高級感は皆無でじつに素晴らしいです。あんなもん抜け殻です。ハーレーの形をしたただの抜け殻です。なんですけど、ここ一番、試しにキックしてみますと、ウホッ!エンジンかかるじゃん!それにさすがにイイ音!となるわけでして、その辺も絶妙にバランスいいなあと思いました。これは「一命」に続けてでアレなんですけど、やっぱ満島さんの狼狽(&発狂)は絶品です。ずっとずっと狼狽(&発狂)してって欲しいなあと思います。最高。


一番最後のパートもステキでしたし(これは笑いながら泣きました。骨を擬人化してしまう―してしまわざるをえない―人間の切なさ・おかしさ・奇妙さを暴いててかなり沁みました。「骨を擬人化?骨は人の一部だから【人そのもの】でしょう!」??いやいや骨は骨です)、そんなこんなでワタクシは全然好きな映画です。なんだかんだいって、じつはフロックの可能性をぬぐえないではおるのですが、出来あがったものが面白いから良しでしょう。マジック!

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(※1)やや内容が見えてしまう要約をしてしまうと――世界はクソまみれで、というか、自分もクソなんですけど、だからクソはクソらしくクソの流れに身をまかせ五感を閉ざして生きていこう――と決めてたクソがです、このままじゃあダメだなあっつうことで、でも、あくまでもクソらしく謙虚な姿勢として、目を見開き、胸いっぱいにクソの香りを吸い込むレベルぐらいのことはしてみようという、前向きではあるんだけど、スタートとゴールの地点が常人と較べて後ろすぎるから一見全然スタートできてないっていう、でも、それは本人の問題ですから、全然良きことですよね――まあ、そんなカンジですかね。

(※1)満島さんが作った社歌の歌詞「しじみのパック詰め」を「しじみ爆詰め」だと思ってました。ワタクシの中では永遠に「爆詰め」として理解しておきます。

(※2)読売テレビの深夜枠で不定期集中放送される映画番組。この番組で一番最後にみたのが「台風クラブ」だったので「CHINEMAだいすき!」といえば「80年代の邦画」という誤った刷りこみが生じています。