エイプスだって人間だ! ―「猿の惑星:創世記」―

ヨーロッパの各地には、50年代や60年代のクラシカルなポップスを愛聴するシーンがありまして、何を隠そうワタクシもその手の音楽が大好きなのです。勿論、そん中には色々な種類があり、例えば、現行のバンドが昔の音を忠実に再現しようとしているものがあれば、逆に『そこを抽出されてもなあ……』ってカンジになっちゃう、大変ガッカリする出来栄えのものもあります。当然、基本的には懐古的なモノが大半を占めているのですが、たまーに、現代のポップスとクラシックの要素をクロスオーヴァーさせてるようなものが出てくることがあります。そういう作品って、クラシックスと混ぜても全然繋げて聴くことが出来、それと同時に、クラシックスの中に埋没してしまわないアイデンティティを兼ね備えておるわけで、ようは、今この世に存在してる必然性があるわけです。そりゃあそんなもん最高ですよね


猿の惑星:創世記」はそんなカンジでした。

                                                                                • -


というわけで、超絶に遅ればせながら観てきました。
公開終了間際のタイミングになっちゃったのは、意外と上映時間が合わなかったというのが一番の理由なんですが、「ムリしてでも」という気持ちにならなかったのも事実。予告みた時に『面白そう!』と思うのと同時に『でも、これで全てだよな……』と思ったわけです。
ちなみに、そんなテンションだったワタクシに、最後の一撃を加えたのは稲垣ゴローという人でした。彼が、現在公開中の映画についてウダウダ戯言をおっしゃるテレビ番組で今作を取り上げられた折、一刀両断ほぼ酷評してらっしゃったのです。

「正直、猿がよく動くぐらいの感想しかないです。というか、猿ですよ、猿。畜生があんな情感豊かな表情するわけないじゃん。ただのCGにしかみえん」

確か、そんなニュアンスのことをおっしゃってたのです。なんつうか、予告のカンジとゴロー発言から立ち上ってくる映画って、正直相当つまんなさそうな映画じゃないですか。だから放置してたんですけど――


おい!!稲垣ゴロー!!
ALZ-112投与の必要性あるぞ!!

                                                                                • -


勿論、観る直前まで、2011年現在において「猿の惑星」をどのように描くのかなあという疑問はありました。でも――冒頭、いきなし、お金が大好きなエリート黒人が登場、それによって「逆に今はそういう時代じゃないですよね」というのを示唆されてて、なんとも素晴らしいなあと唸りました。んじゃあ何をどう描くんだろう?ターバンをアタマに巻いた猿でも出てくんのかなあ?と思ったら――当然そんなこたあ無く(当たり前です)、虐げられる者の普遍的な姿が描かれていましたね。監獄シーンはアタマからケツまで最高すぎました。やっぱ囚人は放水されるに限る!
しかし、まあ今作、表現が簡潔かつ的確。じつにタイト。そのタイトさは全編に渡って貫かれておりましてホント素晴らしいです。一個の薬品開発が全ての軸になってるとことか、それに付随してのお父さんの病気のお話とか、動機とその後の展開に全然ムダが無い(※1)。主人公ん家の隣に住んでるパイロットのおじさんの巻き込まれ具合とかチョー面白かったんですけど、そこに気を取られていると、なんといいますか――卑小なとこから世界が滅亡してくカンジがして、すごいイイなーと思いました。ま、正直、展開が性急すぎる感もあるのですが、そこから生じる「隙」みたいなものも、なんつーか、オリジナルに近いようなカンジがしてとても良かったです。


あとですね、要所要所にちりばめられたアイテムが「猿の惑星」一作目につながってるのも素晴らしいなあと思いました(※2)。一作目とおんなじ台詞やシチュエーションが登場したりして、ようはSBR」や「ジョジョリオン」的パラレルワールド全開で、相当グッときました。んで、これが大事なとこなんですけど、それが全然イヤ味じゃないんですよね。「オラオラ。オメーらマニアはこういうのみせてもらったら嬉しいんだろ。ケケケ」といったカンジが皆無で、何気にみてるとフツーに見過ごしちゃってて、後で思い返すと「そういえばアレは!」ってカンジ。なんとも奥ゆかしいサンプリング具合、マヂ痺れます。


痺れるといえば、おサルさん達の演技がたまりません。主人公ザルであるシーザーが、ボケ老人のフォークの持ち方をただしてあげた後にみせる表情とかアレなんなんですか。100万点。いや、100億点です。
稲垣ゴローさん、あのですね、この映画って、猿が急速に知能をつけて人間化(?)してく映画なわけですから、劇中、猿が情感豊かになってくのは当然ですし、というか、「猿の惑星」の猿ってそういうもんじゃん?じゃあ、貴方、「猿の惑星」オリジナルを観た時どう思うの?猿、英語喋っちゃってますよ?それはいいの?そこまでいっちゃうといいの??
そもそも、今作におけるおサルのフィクションラインは非常に良く出来てると思うのですが(※3)、それでも尚「そんなもんありえんわ」「猿は猿でしかないからそれ以上のもん描かれてもありえんわ」とおっしゃるのでしたら、そん時はもう遠慮なくレイシストのレッテル貼らせて頂きたいと思います。


かつて、日本が誇る狂人マンガ家手塚治虫先生はこう言いました。

「ロボットだって人間だ!」と。

それからすれば「猿だって人間」ですし、なんなら「CGだって人間」です。テメー、もし、「アバター」褒めてたら、馬で追いかけまわして、挙句、網で捕獲して街中引きずり回してやるからな(※4)

                                                                                • -


(※1)「第9地区」のナゾの液体と較べたら、ALZ-112の説得力、ハンパ無いですよね。


(※2)「猿の惑星」って宇宙船の遭難が大前提にあることを完全に忘れてまして、家に帰るまで「なんだったんだろう、あの宇宙推し」ってなってました。ALZ-112が必要なのはワタクシのほうかもしれません。


(※3)おサルさん達の知性が一歩上のステージにあがるシーンとか最高ですけどね。「ああ!サルがサルじゃなくなったよ!」ってカンジで。なんですけど、主要メンバーが戦隊モノよろしく見事なポージング決めて街にやってくるとこなんかは「カッコイイ!」と思いつつさすがに笑いました。あと、ゴリラご逝去のシーン。アレ、若干コント感ありますよね。


(※4)と息巻いておりますが、じつは全然炎上しておらず、なんならゴローちゃんがそうおっしゃるのもわからいではないぐらいのカンジではあります。でも、それ以上に映画の出来が良いってカンジ。なにより、ゴローちゃんがハードル下げてくれたおかげで、この映画チョー楽しめましたので、相当感謝しております。本当に有難うございます。