We can be Heroes just 8 min ―「ミッション: 8ミニッツ」―

〈「ミッション:8ミニッツ」のみならず月に囚われた男」の内容にまでも触れております。正直、どこまでがOKで、どこからがアウトなのか全然判断つきませんので、お読みになる際はそのへんご了承ください〉


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ちょ……この映画、「月に囚われた男」のダンカン・ジョーンズ監督の新作だったんですね。タイトルがアレだったんで全然気づきませんでした。他に良い邦題なかったんですかね。というかです、タイトル決定会議の席で、ワタクシの書いてるタイトル出した人いると思うんですけど。でも、あまりにアレだから「8ミニッツ」のほうを残した可能性を妄想中。違うかなあ。違うか。違うわな。でも、どこか別の並行宇宙ではこのタイトルで公開されてるかもしれませんよね(※1)。

それにしても、「月に囚われた男」はホント名邦題ですよね。それはただ単に「ボウイ」感を顕しているだけではなく――
ワタクシ、「月に囚われた男」を観にいった時、たまたま量子力学について書かれた書物(※2)を読了した直後だった為、その影響から強く思うことがありまして。それは――クローンっていうのは、本来、並行宇宙に存在してる「別の自分たち」を、特定の「一つの宇宙」に集約するようなものなんじゃないか――と思ったのです。つまり、「月に囚われた男」の主人公っていうのは、パッと見たカンジは―当然―複数に見えるわけですけど、それでも、やっぱアレはタイトルどおり「男」という単数形なんだと思うのです。「彼ら」が一つの宇宙に集まって「彼」として行動し、ようやく帰郷への扉が開く――一人なんだけどチーム。チームなんだけど一人――そういう物語として受け取ったのです。

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で。「ミッション:8ミニッツ」。
主人公は、正体不明の爆弾テロリストの存在を調査する為、近過去に起こった列車爆破事件のシチュエーションを−8分間だけ−何度も何度も繰り返し体験させられます。ようするに、今度は、一つの人格がいくつもの並行宇宙を横断していくわけです。

一聴しただけだと「それって飽きない?」と思われるかもしれませんが、今作はその描き方が絶妙で全く飽きません。勿論、おんなじ状況が発生したりもしますが、主人公は、前回の「8分間」での失敗体験や知り得た情報をもとに、新たなプランを立てて次のミッションに臨んでいきますので、意外と毎度の「8分間」が新鮮です。そんなカンジでいつ終わるともしれない状況の中、紆余曲折、努力しながら主人公は核心へと近づいていくわけです――
って、じつは、やがて明かされるテロリストの正体に関しては「おっ!そうきたか!」という驚きはあんましありません。というか全然ありません。でも、それはこの映画の魅力を損なう要素では全然ありませんでして、つまり、この映画って、犯人探しの映画ではなく、自分探しの映画なのです。核心に迫っていくのは失った自分の記憶なのです

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ところで、ワタクシ、今作の宣伝文句である「このラスト、映画通ほどダマされる」っていうのがじつはよくわからなくって……あのう……この映画って「メール受信」して終わりでいいんですよね?その後、場内に灯りがつくまで観てたんですけど、特別なにも起こらなかったと思うのですが……映画通の方お読み頂いてたら、どの辺がダマシだったのか教えて頂きたいんですけど……もしかしてアレなんですかね、ティーブンス大尉の宿主であるショーンさんの魂だけが、唯一ほっぽらかしになっちゃってることに対するエクスキューズの無さがダマシ要素なんですかね?うむむ。本当によくわかっておりません――

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さて。唐突でアレなんですが、ワタクシ、世界は絶望的で不条理極まりないものだとつねづね思っておりまして。不条理っていうヤツは、いっつも我々のすぐそばにいるくせに、普段は全然そんな気配をみせず、なのに、ある時なんの前兆もなしに突然キバを剥いて襲いかかってきたりします。ごくフツーの人が、ごくフツーに暮らしているだけだとしても全く容赦なし。そして、その強さは圧倒的。対応のしようなんてありません。なにせ不条理なんですから。はてさてどうしたものやら。困ったものです。
ワタクシ、それをどうすればイイのかっつうのを考えてみたのですが――結局、丸っぽ受け入れるしかないなあという考えに至りました。つまり、「起こった事象は全て正しい」というわけです。「うわ……ありえんぐらい間違えたよ……」と激しく後悔するような選択でさえ、「この宇宙」においては正しいことだと考えています。
なんですけど――そう考えようとしても、やっぱ全然折り合いをつけることが出来ないぐらい強烈に不条理な出来事って絶対あるんですよね。そん時どうするか――そん時、ワタクシは――いま、自分のいる宇宙を否定すること無く――起こり得た可能性、つまりは別の並行宇宙に思いをはせることで折り合いをつけたいと思います。


なにがいいたいかっていうと、ワタクシは、今作のエンディングを「ノーテンキなだけのハリウッド的力業ハッピーエンド」だとは思わないっていうことです。手際がいいから見逃されてるかもしれませんが、スティーブンス大尉は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も「絶望」を繰り返しています。今作のエンディングは、その呪縛を突き抜けた果てに得た一つのエンディングなわけです。そう「一つ」のエンディングなんです。ここ大事。「スティーブンス大尉の乗った列車が無事シカゴに到着することが出来た」ことは「特別」なんかじゃないのです。それはワンオブゼムなのです。つまり、「シカゴに到着することが出来た」ことと、その他の並行宇宙で起こったこと、例えば「スティーブンス大尉が列車に轢かれた」ことや「スティーブンス大尉がテロリストに撃たれた」ことは、それぞれの並行宇宙においてそれぞれ全く正しいことなんです。可能性は無限に在る。勿論、絶望も無限に在る。でも、そん中に僅かばかりの「魂の救済」が在る――ワタクシはそれを否定することなんて出来ないです。

起こった事象は全て正しい。しかし、選択肢もある――パッと見、矛盾してるように思えますけど、量子力学的には両立するのではないでしょうか。というか、両立しててくれないと、この「絶望的で不条理な世界」を乗り越えることなんて出来ないかもしれませんですわ。

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しかし、まあ、こういう映画を連発で監督しちゃったダンカン・ジョーンズ、なんとも興味深いですね。御者に鞭打たれる馬を見て発狂してしまわないか、やや心配になっております。

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(※1)並行宇宙が無限数あろうとも、こんなタイトルで公開されてる可能性は無いっつうの。文章だし。というか歌詞だし。長いし。


(※2)といっても、当然専門書などではなく、サイモン・シンの本だったと思います。それもアレですよ、「量子力学は並行宇宙の存在を前提に組み立てられている」レベルの理解でしかないので、ああ、調子にのってすみません。許して下さい。