世界の中心にいるのはお前じゃない ―「コンテイジョン」―

〈内容に踏み込んでないようで踏み込んでますのでご注意〉


ワタクシ、シンセの音色が不穏な音階を奏でつつ、延々ループしていくのを耳にしますと、「わけわかんないまま人間世界が滅亡していってるカンジ」がしてきまして、俄然テンション上がってしまいます。往年のゾンビムービー的世界観が喚起されるのでしょうか。刷り込みってスゴいですね。
というわけで、ステキなシンセ音がブビビビブビビビ鳴り響く映画「コンテイジョン」観ました。面白かったです。ストーリーはじつにシンプル。『全世界を正体不明の強烈ウィルスが襲う!人類の運命やいかに!』というもの。40文字でおさまりましたね。でも、実際の中身は思った以上に新鮮味がありましたので、その辺まとめておきます。

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まず、物語は、香港出張から帰ってきたグゥイネス・パルトロウさんが発症するところから始まります。これはいわばマンガ版「あずみ」的ロジックでして(※1)「えっ?あの人が??」というショッキングな印象を受けます。うん、ショッキング。とても驚きました。でも、そういった「不幸な出来事」というものは、実生活においては、有名だろうが無名だろうが、近しい人だろうが遠い人だろうが、そんなの全然関係なく、突然訪れるわけでして、今作の導入部は、そういうセカイの真実の姿をまざまざと見せつけてくれるとてもイイ導入部だと思います。というか、この導入部って、あとで語っていくことと連結してて、今作がいかなる映画かっていうのを表す要素の一つだと思います。
ちなみに、グゥイネスさんの発症っぷりはさすがの出来映え。大変リアルでスゴいイヤな気持ちになりました。素晴らしい。あと、グゥイネスさんの旦那役であるマット・デイモンが、激しく動揺し、「ちょ……あの……そんなわけないやん……妻と話させてくれや……」と言ってしまうところもじつにリアルで、とてもいたたまれない気持ちになりました。

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そう。この映画じつにリアルなんです。って、「リアル」というとなんか違うなあ。ドキュメンタリック?いや、これも違う。アンチカタルシス?アンチヒロイズム?うーん、そんなカンジなんですけどしっくりきません。なんといいますか、作品自体は一般的な劇映画のていなんですけど、起こる事象はドキュメンタリー的でして、「ドキュメンタリー風だけどじつはフィクション」の逆、ようは「逆モキュメンタリー的」といいますか、なんかそんなカンジなのです。


と、あまりにアレなので具体的に書いていきましょう。例えば、ウィルスとの闘い。これ、劇中どのように描かれているのかといいますと――主人公、もしくは主人公に近しい特定の人物が、ウィルスのナゾを説き明かし、革命的な薬を開発して、世界は劇的に平和をとり戻す――なんてカンジでは描かれていません(ましてや、親子愛や恋人との愛が世界を救うなんてことあるはずありません)。

今作における人類のVSウィルス戦はじつに地道なものです。誰かが実地調査で入手した情報を別の研究者が精査し、それをもとにさらに別の研究所が調査しワクチンを作ろうとしていく――といったカンジ。目標はみえてるけど道程は真っ暗闇で右も左も全然みえない。でも、誰かが落としていった僅かな光源をたよりに一歩一歩少しづつ進んでいくわけです。チョー大変。そして、沢山の工程を辿るわけですから、作業には大変時間がかかってしまいます。ウィルスは拡大する。でも、ワクチンは出来ない。時間だけはドンドン流れていく。当然、ウィルスの被害はドンドン拡大する。なに?なんなの?どうにかしてよ……!!ってなるわけですが、実際そういうモンだと思うんですよね。それでも、あきらめずに探究してくのが人間のあるべき姿なわけでして、今作においては、それに対する地道さがとても良いわけです。変に英雄然としたヤツが出てきて颯爽と事件を解決するより4000倍素晴らしいと思います。
ちなみに、ワクチン開発がスムーズにいかないことによって新たなドラマも生じるのですが、そこで描かれる事柄もじつに素晴らしく、ようは「世界への愛」なんていう曖昧かつ偽善的なものは描かず、あくまで「隣人への愛」を描くにとどめています。いやまあ実際の話、「世界への愛」みたいな実体のよくわからんボンヤリしたこと唱えるよりも、「隣人の愛」を追求してくほうがよっぽど建設的ですよね。


少し話が逸れてしまいました。さてさて、この「逆モキュメンタリー」感は、科学者グループと対立する立場にある主要キャラ、ジュード・ロウ演じるフリー記者(a.k.a.プロ市民調ブロガー)の有様にも顕著に表れています。ジュード・ロウは、ウィルス拡大に便乗し、大変ゲスい行為を働きます。「政府はなにかを隠蔽してる!」なんつって恐怖を煽り、偽薬を売ってバカ稼ぎするのです。そんなもんですね、通常の劇映画ですと、「神の怒り」が発動しそうなモノなのじゃないですか。でも、今作においては、そういうのは全然ありません。じつにカタルシスが無い。でもさ、実際そういうモンだと思うんですよね
というか、「カタルシスのなさ」は、ウィルスそのものに関しても当てはまるのです。
劇中において、世界を震撼させまくるウィルスはどこから生まれたのでしょうか?その発生源は――軍需産業が開発してた細菌兵器などでは、ない。世界中の人が知らない巨大な「陰謀」が闇で蠢いてて、それに連動して発生したわけでは、ない。ようは、そこに特定の「悪」が存在しているのでは、ない。それが生まれた理由というのは――ほんの些細な事象の積み重ねでしかないのです。一個一個はフツーに存在する事象が奇跡的に重なって人間世界を滅ぼそうとしちゃうのです。敵が明確じゃないから、それを倒して「イエーイ!」っていうカタルシスを得ることなんてありえません。でもね、それこそが世界の真実のような気がします。うん。そういうわけでもう一度言っておきましょう。実際そういうもんだと思うんですよね!!

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というわけで。この映画みますと、「手はきっちり洗わなきゃダメだよね!」とか「人が沢山いるところでむやみやたらに咳しちゃダメだよね!」とか思うわけですが、ホントの警告はそういうことじゃなくって――肥大しまくった幼稚な自我にたいする警告、いうなれば「世界の中心にいるのはお前ではない!!」ってことが描かれてるように思う次第でした。自分は何者でもない。自分ひとりの力でセカイを変えることなんてできない。でも、やるべきことはやる。それこそがセカイをより良きものにしてく方法なんじゃないかなあと思う次第でした。

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(※1)例えが古い。