進化のなぜを解明する―「宇宙人ポール」―

チョー面白かったです!
この映画の面白さは観て頂いたら問答無用だと思いますのでほぼ余談を。

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「音楽好き!なんでも聴く!でもK-POPだけは聴かない!K-POPなんて所詮欧米の音楽のパクリ!全く自国の文化に根差してない!」なんてことをおっしゃる方いらっしゃるじゃないですか。そういう方って、普段どんな音楽聴いてらっしゃるのでしょう。演歌?演歌がお好きなんでしょうかね?(※)

でも、まあ、そういうのって、なにも韓流的なものだけに限らず、「アニメ」や「アイドル」その他諸々いろんなことに当てはまることですよね。ろくすっぽ見ようと聴こうと理解しようとせず、わりかし雰囲気だけで批判する姿勢。うーん、なんなんでしょうね。そういうのって全然好きになれないです。いや、だからといって、例えば「韓流をdisするヤツは総じてぶっ殺す」ってカンジで特定の何かを盲信してらっしゃるのもどうかとは思うんですよ。でもね、なんの根拠もなく、そういった「信者」的な方々を、雰囲気だけで批判してちゃあ――全然同じ穴のムジナですよね。何が言いたいかっていいますと、ようするに「老いも若きも男子も女子も皆さん、偏見持たずに色んなモンと触れ合ってこうぜ」と思うわけです。
なんて、エラソーに行ってますけど、じつはワタクシ、元来、とても偏狭な人間でございまして、わりととっかかりは「ケッ。なにこれ。ハイプハイプ」って言いがちな人間なのです。でもです―とても恥ずかしいことですけど―そのせいで、それまでは全然良さがわからんかったモノが「或る日突然輝きだす瞬間」っていうのも何度も経験しておりまして。んで、フシギなモンですが、そうやって転向して好きになったものっていうのは、最初っからすんなり脳みそに入ってきて「わー!これ好きー!」ってなったモンより、後々までしぶとく好きだったりするんですよね。


そういえばです、文化人類学者のレヴィ=ストロースさんは以下のような主張をされてました。メチャクチャうろ覚えでアレなんですがこんなカンジ――


ジンルイとは「交換」という行為が大好きな生き物である。そして、ジンルイは物々交換によって生じる「文化のクロスオーヴァー」によって進化してきた――

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ここでようやく「宇宙人ポール」についてなんですけど、このお話はカンペキ異文化交流ロードムービーなわけです。英国産ナードと米国育ちのじつに米国人な宇宙人によるロードムービー。筋はちゃんとありますけど、とにかく、彼らがうだうだダベッたり、ケツだしたり、ハッパ吸ったりしながら、キャンピングカーでアメリカの広大な大地を疾走していく様がチョー最高です。もうそれだけで最高に面白くってステキで、というか、ステキすぎて泣けてしまったぐらいでした。
はじめは摩擦あるけど次第に異なる文化が打ち解けて移動していく――つまり「宇宙人ポール」って、レヴィ=ストロースさん的思考でみると「人類進化の秘訣」が盛り込まれまくっているわけです。今作を問答無用で「楽しい!」って感じるのは、異文化交流という行為は、例えばセックスと同様、人類にとって必要なことだから気持ち良く設定されているような気がしてなりません。そう考えると――人類って神様が作ったモノかもしれませんが、そして、人類の発展のプログラムは神様が植え付けたものかもしれませんが、どうも神様は視野狭窄に陥ることはあまり望んでらっしゃらないように思ってしまいます。いかがでしょう、あらゆる原理主義者の方々。まあ、とにかく、常に自分が正しいと思ってちゃあ色々損すると思います。

「初めて地球人みた時、キモすぎてゲロ吐きそうになったわ!だって自分ら、アタマと体のバランスおかしいやん!体の大きさに対してアタマ小さすぎるねん!」

ポールに言わせれば我々人類はキモい異常生命体なわけです。美しくもなんともない。所かわればそんなもん。大したモンじゃないのです。だからこそ、偏見持たずに色んなモンと触れ合ってきゃあイイんじゃないですかね。


でも、「偏見」を取っ払うというのはチョー難しいんだよなー。色々勉強しないとなーというお話を一つだけ書いておきます。

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1925年、アメリカでのお話。
キリスト教原理主義者が、ダーウィンの進化論を学校で教えることに反対して起こした裁判があります。所謂「スコープス裁判」というやつです。これってね、「科学を全否定するアタマのおかしなキリスト教原理主義者達が起こした狂気の裁判」として認識してらっしゃる方がほとんどだと思います。ワタクシもそうでした。でも、実際はちょっと話が違ってるようで。

どういうことかっつうと、キリスト教原理主義者側の代表として立ち上がった人物って、じつは科学的知識を持ち合わせたアメリカ左派の人物だったんですって。左派がキリスト教原理主義者側に立つ??どういうこと??つまり――その代表者の方は、ダーウィニズムの「力は正義なり」の部分に異議申し立てしたんですって。もし、学校教育の場において、ダーウィニズムが一般的なものになってしまうと「自然淘汰」という概念がスタンダードとなってしまう。すなわち「弱者」の存在が全否定されてしまう……!!というわけです。そう考えると、ルースの着てたTシャツって結構親近感覚えるわけで、ホント色んなこと勉強しないとダメですね。

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(※)演歌って日本の伝統の音楽なんですか??そもそも伝統ってなんですか??レベルでの意地悪な気持ちは勿論持ち合わせての発言です。