WEEPING AND "LAUGHING" ―「ヘルプ 心がつなぐストーリー」―

この映画、スチール写真やポスター、サブタイトルから受けとる印象が「ソフティケイトされたブラザー感」だった為――んで、その「ブラザー感」っていうのは、個人的に大好きな「ガサガサしたソウル感」や「ジリジリしたファンク感」と対極にあるものだと思っている為――当初はあんまし興味そそられなかったのですが、予告を観てからはおもくそ転向、つか、予告の段階で笑って泣いちゃう域に突入してしまいまして、結果的には公開されるやいなや、ウキウキしながらソッコー観にいくことになった次第でした。

さて、本編の内容はといいますと、正直、ほぼ予告通りっちゃあ予告通り。なんですけど、本編のほうが全然飛距離があってクソ素晴らしかったです。例えば、予告ん中に、メイドさん達が『全員で協力するわ』って言うシーンあるじゃないですか、あの僅かなシーンだけで、色々想像しまくって涙ぐんじゃってたわけですが、それが本編で出てくると――ま、涙を流すのは当然のこととして――うっかり嗚咽しそうになっちゃってグッとこらえるレベルでした。涙腺弱すぎ。他んとこも一通りそんなカンジでして、予想通りではあるんだけど、よりてんこ盛りの笑いと、よりてんこ盛りの涙を、どっさり大量に提供して頂いたカンジです。
実際のところ、この作品、146分という長尺に加え、話があっちこっちに飛散していくボリュームたっぷりの盛り込み具合なんですね。そういう作品ってフツーでしたら結構しんどく思うじゃないですか。でも、この作品の場合、それぞれのお話やキャラが立ってるから、その辺あんまし気にならんかったんですね。というか、気になったけど全然イイじゃん、そんなこと!ってカンジですね。

主人公スキーターは、人種差別問題解決に燃える闘士ってわけじゃなく、あくまでフツーの視点&フツーの生活がある上で、社会の不条理に対峙してるカンジが非常に魅力的。対して、敵役のヒリーは胸糞悪いクソセレブ(のくせにケチ)で全力で地獄に堕ちて欲しいわーと思える見事なキャラ立ちっぷり。そして、メイドさん役のミニーのブラザー感、語り部であるエイビリーンの切ないくたびれ感も、予想通りの設定ではあるんですけど、ヨユーでそれを上回る高クオリティ。

それに加えて、予告からは見えなかった伏兵キャラが素晴らしくって――そう、そうです、その伏兵キャラ、「ド田舎出身かつド天然の成り金女性・シーリア」がホント素晴らしいのです。シーリアマヂ最高。かつ新しい。この作品のキモの一つは間違いなくシーリア。彼女がいることで、ヒリー達のコミューンのクズさが際立つし、虐げられた者同士の友情にチョー感動したりします。って、これは正確な描写じゃないですね。だって、シーリア、自分が虐げられてるとは思っていないですもん。ですから、シーリアとメイドさんの間にあるのは、虐げられた者同士の「傷のなめ合い」とか「共闘」とかそういうのじゃなくって、シーリア的には「単なる友情」なんですよね。それがチョーー良いんですよね。そそそ。そうなんです。シーリアってさ、アホみたいなセクシー衣装を着たまんまニワトリをさばいたりしてチョー笑えて最高なんですけど、彼女の――根本的には他人の目を気にしない――世間ずれしてるカンジっていうのは、「差別」が生まれる構造に対する一つの指摘となってるわけで、つまりは、「世間体」っていうもんが「差別」を生む要因になるんだよなーってのが明らかになるんですよね。
そんなこんなで、後半はシーリアが登場するだけで感極まって涙が流れてしまいました。というか、今、予告見直して彼女が動いてるとこみるだけで泣けてしまいました。

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ところで。
この物語は、よその国の近過去が舞台なわけですよね。じゃあ、ここで描かれてる内容は、現代日本に生きる我々にとっては全く無関係のものなのでしょうか。勿論、ワタクシそうは思いません。

先日、インターネット上で大々的に行われた某論争においてのこと。両陣営の取り巻きが、自陣営のボスを褒めたり、敵陣営のボスをけなしたりしてる中、敵陣営の取り巻きの愚かしい発言のみをとりあげて揶揄してらっしゃる方がいました。あれはマヂで胸糞悪かった。「そういう恣意的な取り上げ方したら、そういう結果になるのは当然じゃん」ってことをドヤ顔で語ってらっしゃる。敵陣営のボスのことが生理的に気にくないんだったらそういえばイイじゃん。なにその婉曲的な攻撃。なんなんですかね、一体。ま、とりあえず、その時点で不快指数MAXに近かったのですが、そういう、わけわかんねークソ主張に対してフツーに賛同してる方々がいらっしゃるのをみて、いよいよ、怒りゲージが完全に爆発、鼻血を出して憤死しそうになりました。ああいうのってなんなんですかね、一体。マヂでなんなんですかね、一体。自分にとって都合のよい情報しか受け取らない、無知と偏見にまみれた硬直しまくりの思考。そのくせリベラルぶるという往生際の悪さ。この国は全然近代国家じゃないッスよ。

というわけで、ここまで書きゃあ言わずもがなだとは思いますが、その論争にまつわる話と、「ヘルプ」の内容って、大差ないわけなんです。偏見にまみれまくった先導者はヒリーであり、全く自覚なく悪意に加担するブタどもは――エイビリーンの雇い主である――エリザベスを含む婦人会の取り巻き連中なわけです。

そう。この作品、自覚なく悪意に加担する者のどうしようもなさを、エリザベスという人物を通して描いているところも素晴らしいのです。エリザベスは、終盤、観客がみる分には大きな敗北を喫します。しかし、それは「観客がみる分には」なんです。その辺り明確に描いていないのです。もしかしたら、彼女自身はなんら敗北感を感じていないかもしれない。そして、敗北感を感じない以上、彼女は延々同じ地点に止まり続ける可能性は高い――言うなれば、エリザベス的な人の多くは、この作品をみても「ヒリーうざいなあ」「エリザベスイタイなあ」と思いこそすれ、自分自身がエリザベス的ポジションにいることには気づかないかもしれないのです。

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このような作品においては、スキーター的人物とヒリー的人物の対比は絶対条件として存在しています(じゃないと話になりませんものね!)。今作では、それに加えて、シーリアとエリザベスという人物が置かれている。これが本当に効果的。ようするに、彼女らの存在って、レイシズム問題における「市井の視点」なわけで、彼女らを描くことにより、この作品は、より普遍性を帯びることができてると思います。すなわち、レイシズムの根はスゲー身近なところにあるし、それと同時にスゲー身近なところから解決できるかもしれない――ってなカンジで、笑って泣けるのに加え色々考えさせてもくれる大変イイ映画だと思います。ホントオススメ。