彼女の選択の意味 ―「別離」―

BGMがほとんど流れないのにもかかわらず、2時間飽きさせずにみせてくれる佳作でした。ストーリーそのものも、実際のところ、大きなツイストないんですけど、「疑惑のカード」の提示のタイミングが絶妙なんでしょう、緊張の糸は全然とぎれませんでした。万人にオススメできる作品ではないでしょうか。

アルツハイマーを患うお父さんと暮らすナデルさん、彼は只今、妻のシミンさんと離婚調停中。二人の間の一人娘テルメーちゃんは、とりあえずナデルさんのもとで暮らしているのですが、彼女はまだまだ幼さの残る中学一年生、あんまし表には出さないんですけど、両親の関係になんとも複雑な心境のようです。そんなある日、ナデルさんと、彼の父の介護の為に雇ったヘルパー、ラジエーさんとの間にいさかいが発生。話はこじれにこじれ、やがて裁判へと発展していきます――


さて。我々日本人を含む、イスラーム世界の外にいる者が、その名を耳にしたときに頭に浮かべるイメージとはどのようなものがあるでしょう。ラマダーン?礼拝?ブタを食べちゃダメ?ま、そんなカンジで色々あるわけですが、女性差別っていうのも間違いなく想起されると思います。

それって実際のところはどうなんでしょう?

ナデルさんの奥さんであるシミンさんは、小島慶子さん系の端正なお顔立ち。彼女はその容姿に相応しく(?)じつにモダンな女性として描かれています。プジョージーンズがよく似合う自立した教師。とてもステキです。
ところで、シミンさん、若干のヒステリックさが滲みでてるカンジがまた小島慶子さんぽいのですが、物語が進んでいくとその印象も拭われていきます。つまり、旦那の裁判の際の彼女の立ち回りというのが、状況から鑑みるにもっとも真っ当なものに思うのです。旦那に対して疑惑と愛を持ちつつ、それと同時に、訴えてきてる側に対しても「正当な疑問」を抱き、でも、起こった事実への責任から先方の意見を尊重、地道に交渉して良き着地点を見出だそうとしてらっしゃる。その姿勢からは知性と慈愛が満ち満ちており、我々が抱くステレオタイプイスラームの女性像、すなわち「人権など無く虐げられ続けている女性像」とはイイ意味で大きくかけ離れています。

対して、裁判を起こす側のヘルパー、ラジエーさんはどうでしょうか。

彼女は旦那さんが失業しちゃってる為、苛酷な労働を強いられています。でも、それはなにも「旦那から強要されて」というものではありません。勿論、暗黙の抑圧があるといわれればそうかもしれませんが、そこには「テメー、ワシは仕事ないんやから稼いでこいやゴルア!」的「男性の絶対的優位性から発生する搾取構造」はありません。

家庭の不和に対して意固地になっちゃった結果、建設的な意見を出せなくなってる旦那。社会的に落伍しDQN化しちゃってる旦那。どちらも脆くて弱い存在。女性は彼らを手のひらの上で泳がせている感さえあります。重ねがさねになりますが、暗黙の抑圧はあるでしょう。しかし「男性への隷属」ってカンジではない。ぶっちゃけこのレベルの抑圧ってイスラームに限ったことじゃない。そう、つまり今作では我々の日常と全然近しいイスラームの日常が描かれていると思うのです。

もちろん、劇中、イスラーム特有の描写もあり、それはとても興味深いものです。

例えば、ラジエーさんが「旦那以外の男性に触れてよいものか電話で相談する」シーンなどは直球で面白いものでした。しかし、それよりなによりヤバかったのは「シミンさんが仕事おわった後にスカーフを巻き直す」シーン、あれがヤバかったです。あのシーンのみ彼女の頭髪がチラリとみえるんですよね。もうさ、そのエロチックさたるや。衝撃でしたね。あれはイスラーム世界ならではのエロ描写ですよね。じつによかったです。いやマジで「あんなエロいものは隠しておかねばならん!!」と思える秀逸なシーンだったと思います。
というか、一口にイスラームといっても、実際は「スゲー多様」なんですよね。部外者からすれば、イスラームの信者って、皆、ラジエーさんみたく敬虔な信者だと思いがちなんですけど、実際は全然そんなことないのです。って、そんなの冷静に考えれば当たり前のことなのに、まーその辺誤解しがちですよね。

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少し話が逸れましたが、なんだかんだいって今作の根幹にあるのは「ステレオタイプイスラームの女性像」に対する批評なんだと思います。それは、物語の一番最後、テルメーちゃんが「決断する」シーンに端的に表れていると思うのです。つまり、彼女が「どちらを選んだのか」っていうのは大事じゃなく、彼女自身が決断したってとこがキモなのではないでしょうか。たとえ中一でも、たとえ辛い選択でも、自分で決めること。それって、封建社会とは対極にある、近代市民社会の礎だと思うのです。それがイスラーム世界にもある。それを知らしめることこそがキモなのではないでしょうか。

ちなみに。ラジエーさんの娘さんがチョーかわいくって、序盤はあの娘の登場シーンで概ね笑かせえてもらいました。玄関のガラスに顔面押し付けてブタ鼻になってたり、ナジルさんのお父さんの酸素ポンプをいじってお父さん死にかけるとかチョー無邪気で最高。ワタクシ達の回りにいる子供となんら変わりないんですよね。ですからやっぱさ、「敬虔さ」ってのは部外者からみたイメージでしかないんですよね。