アメリカ、「力」の喪失 ―「アメイジング・スパイダーマン」―

とにかく、学園ドラマパートとその延長線上にあるシーンがすごいツボで、それはようするに、スパイダーマンアイデンティティであるところのギークの夢」描写がマヂ最高にはまったわけです。超絶な力を手に入れて、いけすかないジョックスをぶっ飛ばしたいよねー。ストーキングしてる女の子に振り向いて欲しいよねー。力を手に入れたからといって聖人君子的人格にはならないよねー。卵買いに行くよねー。
ところで、ギークやナードが、別段たいした理由もなく、突然モテる映画ってあるじゃないですか?ワタクシ、そういう映画が心底キラいでして、だってさ、そんなの完全にファンタジーだっつーのね。夢を与えてるつもりかもしれんけどアレ逆にムカつくわ!そんな簡単にモテたら心歪まへんわ!となるわけです。そういう意味では、今作、冒頭で「ピーター・パーカーの芯の強さ」をみせてくれますので、わりとすんなり「こんなイイ奴、モテてしかるべきだし、ヒーローになっても全然OK。キモいけど」と思わせてくれる、じつに良心的設計だったりします。素晴らしい。
そしてヒロイン。これがまた堪りません。エマ・ストーンはこれまでの出演作に乗っかったキャラ設定でして、つまり、男子的には一番幻想抱いてしまう絶妙な案配の下ネタをビシビシ投入、そこになんとも魅力的なハスキーな笑い声をトッピングされますと、これはもう、なんといいますか――惚れ倒すっつーの

となかなか好印象なのですが。

この映画、シナリオがわりかし粗い為、肝心のヴィラン戦がすげーボンヤリしてて、いや、ボンヤリつーかなんつーか、シーンのパーツパーツは面白いから、基本的には飽きさせずに魅せてくれるんです、一例挙げると、音楽室での戦闘シーンとか全然最高なんです――ですけど――ぶっちゃけ、彼らの戦う理由があんましよくわかんなくって、かつ、心の葛藤がみえそうでみえないもんだから、ふとした瞬間、「あれ?結局この二人、なんでこんなにバキバキに戦ってんだろう?」と思ってしまうのです。

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まず、そもそも論として、なぜピーター・パーカーは異種間遺伝子交配時のバランス不均等を乗り越えることが出来たのでしょう。これが全然わかんない。「もしかしたらヤバいかも……」というシークエンスは存在する。でも、それに対する回答はない。ようするに、これって、ヴィラン誕生へのフリでしかない。だから、ピーター・パーカーが後にヴィラン誕生に対して責任感じちゃってるのが、うん、まあ完全なるマッチポンプ感というかなんというか、ノレないというか釈然としないというかなんというか。

んで、ヴィランヴィランってカンジがあって、正直、なぜ彼が凶行に至ったのかがよくわからない。「オレは人間をやめるぞジョジョーー!!」的はっちゃけっぷり乏しいし、それとは逆のパターンで、そうなってしまったことに対する悲哀があるかっつったらそっちも乏しい。んで、結局、彼が途中で思想を急展開させ、無差別テロ決行に至ったのも、わかるようでわからんようでなんともかんとも。

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じつは、この戦う理由の見えなさというのは、現代アメリカの有り様を、図らずも映しだしてるような気がするのです。つまり、今現在のアメリカってさ、明確な敵を見いだすことが出来なくなってるわけじゃないですか。加えて、アメリカという国家自体の力も失われつつある。
「善の圧倒的な強さ」が在るからこそ成立してた「善は善・悪は悪」という単純明快な世界観、それに対する揺らぎから生じた「善も悪かもしれない」という世界観、今作はその「善≒悪」という世界観を、千客万来全方位的にイイキモチになって頂けるよう、都合よく解釈し、「悪も善・善は問答無用で善」ってカンジで全速力の妥協を図っているような気がします。で、その結果、今作のスパイディって、原初のヒーローがもってた単純明快さの劣化コピーみたく映ったんですよね。正直な話、「皆でスパイディを応援しようぜ!」とかさ、個人的には「はあ??」ってなもんです。つい先日、大阪区長に就任する予定のおじさんが「菅首相、許せんから殴る!」っつう、あまりに見事なキチガイ発言してニュースになってたじゃないですか。あの、実際のところ、ヒーローというものは、そのキチガイおじさんと紙一重だと思うんですね。その事実をわりかし軽視して、ソッコー礼賛しちゃうのって、まーなにかと危険だと思うのです。そこ、もうちょいエクスキューズあっても良かったんじゃないかなあと思うのです。

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いやアレなんですよ、これは「力」にまつわる話にしなければ良かっただけなんだと思います。それを中途半端にチラチラみせるからノイズになってしまってる。じゃあどんなテーマだったら良かったのかなあと考えてみたんですけど、例えばですね、「科学」と「哲学」の対立構造にしておけばわりとすんなりまとまったんじゃないかなあと思ったりします。「化学」と「哲学」の問題ってさ、これからの世界の有り様においても熟考しなければならない重要なテーマだと思うのです。それって、現在、我々日本人が否応なく対峙せざるを得なくなってしまってる問題に対してもヨユーで当てはまることですしね。
あ。もしくは、100%アトラクション的にしてしまっててもよかったかもしれませんね。完全に先祖返りした白いジョックスってカンジで。ってそしたら、スパイダーマンアイデンティティ失っちゃうか。そうか、じゃあさ、いっそ、ピーター・パーカーとエマ・ストーントンチの効いた会話のやり取り120分で構成してくれてたら、それで全然イイかも。うん、それが観たいです。