愛と幻想のドキュメンタリズム ―「監督失格」―

ドキュメンタリー映画とは一体どのような映画なのでしょう。真実の記録?うーん。それはそうかもしれません。しかし、それだけでは圧倒的に言葉が足りない。つか、正解のようで正解じゃない。どういうことかというと、ドキュメンタリー映画とは、たしかに「真実の記録」かもしれませんが、そこにおける「真実の記録」というのものは、監督にとっての真実の記録にすぎず、万人にとっての真実の記録「ではない」というわけです。
つまり――例えば「運命の女性と死別した男が、手元に残してた映像をもとにその思い出を語る」ドキュメンタリー映画があったとしましょう。そこでは、さぞ壮絶な愛と運命の物語が「真実の記録」として紡がれることでしょう、が、それは世間一般で認知されてるようなドキュメンタリー感、すなわち、客観的視点を維持した記録かというと――なんともいえんわけです。

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「オレさ、じつは昔ユカと付き合ってたんだよね」
「え?ユカって、クラブV&Rのユカちゃんスか?全然知らなかったっスよー」
「もう何年も前のことだけどね。でもさ、あいつと過ごした時間は全っ然色あせることないよね。二人で自転車旅行行ったりしてさ。それも一ヶ月よ、一ヶ月」
「マヂっスか!つか、ユカちゃんと自転車って、全然イメージ繋がんないスねー」
「だろ。つかさ、さらに野宿なんかしちゃったりしたよね」
「余計にイメージ湧かないスね!」
「だろ。最初はさ、オレ一人で行く予定だったんだよ。それがさ、ユカにその話したら思いのほか食いついてきてさ、『じゃあワタシもいく!』つってさ。カワイイよね」
「ハハハ。いますね、そういう子。あんま後先考えず、そん時の雰囲気でノッちゃう子。ボクも経験あるわー。アレ後々めんどくさいスよねー……あ……あ……いや……他意はないんスよ……すみません……と、ところでその旅行はつつがなく……?」
「それがさ、喧嘩しまくってさ」
「へー……その経緯だと……フツーそうですよね……」
「いやさ、オレそん時、旅の魅力に気づいちゃったんだよね。マヂ旅イイなー、旅最高だなーつって。キャンプ地とか行くとさ、当然、他の旅人と会うわけよ。彼らすげーイイんだよね。マヂ自由ってカンジで。だからユカに聞いたんだよね、『オレもああなりたいよ。どう思う?』つって」
「はあ……そしたらユカちゃんなんて答えはったんスか?」
『どうやって生活するの?』だって。そんなこと聞いてないっつーの。ハハハ。カワイイね」
ユカちゃん、マトモっスね……え?いやいや!旅!旅イイですよね!若干の中2感が、うん、イノセントですよね!イノセントワールド!ミスチル!またどこかで会えるといいな!ですよ!スゲーかっこいいと思います!」
「うん。マヂでさ、ユカにも旅の魅力に気づいて欲しかったよね。あいつ、運命の人だったからね」
「運命……ですか……ちなみにヒラノさん、どれぐらいの期間つき合ってたんスか?」
「え?あー。半年。つってもフツーの半年じゃないよね。あいつ、他の男とも1年付き合ったことないはずよ。だからさ、期間的には他のヤツとは変わんねーかもしんないよね。でもさ、オレの場合、中身が他のヤツと全っ然ちがうから。マヂ濃密な半年だったよね」
「そ、そう……なんスよね……と、ところで、ユカちゃん、マツオさんとも付き合ってたんスよね」
「マツオいたねー!懐かしいわー。あの二人のこと人づてに聞いたことあるわー。ホントだったのー?全っ然知らんかったわー。マヂ知らんかったわー
「い、いや、じつはこの前、久々にマツオさんと会ったんスよ。そこでなんかわかんねーけどヒラノさんの話になったんスよね。いや、マヂたまたまっスよ!昔の同僚話ってカンジっスよ!全然ヘンなアレじゃないっスよ!マヂで!マヂで!で、そこでマツオさんがっスね、『ユカちゃんとデートしてる時、ヒラノ君に会ったことあんだけど、アレは気まずかったわ。ヒラノ君、ユカちゃんに相当イレ込んでたからさ。彼、その直後からなんだか様子がおかしくなっちゃってさ、振り返れば、そん時からまともに会ってないかもしんないわ。自分まだヒラノ君とつきあいあんの?彼、大丈夫?』みたいなこと言ってて。そうそう、だから、ヒラノさんがユカちゃんと付き合ってたっつーのが意外つーか、驚いたっスねー」

「あーそういや会ったことあるような気がするわー。ああ。そうかー。そうそう、うんうん。覚えてる。覚えてるわー。へー二人付き合ってたんだー。全っっ然きづかんかったわー。でもさ、なんか、こういうとアレだけど、正直あの二人、オレん時とは全っっ然ヴァイブス違ってたよねー
「へー……」
「マヂ、オレとユカの関係は違うんだって。マヂマヂ。ぜーーんぜん違う。マヂわかってないよね。ハハハ。だってさ、ユカ、別れた後でもたまーにメール送ってきてたんだよ。『今付き合ってるヤツのことで相談のってほしい』とかさ。なんつーかな、もうアレだよね、恋人とか超えちゃってる部分あるよね。ぶっちゃけ。なにせ運命の人だから」
「ヒラノさん、ところで……いや、いいか……」
「なになに?なんだよ」
「いや……なんでもないです……」
「なんだよ」
「いや……そのメール、『またお店きてね』とか書いてあったりしました……?」

「……」
「……」
「……」
「……」

「なんかさ、お前と話したらちょっと吹っ切れてきたわ」
「あ。マヂっすか!?それはよかったスわ」
「なんかさ、ついこの前、V&Rのママに言われたんだよ。『ヒラノさんごめんね。なんだかヒラノさん、未だユカにとりつかれちゃってるよね』つって」
「へー」
「でも、わかったよ。オレのほうがさ、ユカに固執してたんだよ」


先輩……
ちょっとイイっスか……
ようやく気づいたのかよ……!!!

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どういうわけか、我々現代人はドキュメンタリーというものに対して、過度な幻想を抱きがちです。「これは事実に基づいた話です」なんて言われると、なんだか格が上のような印象を受けがちなのもそういうことの顕れでしょう。
というわけで、今作においても、ドキュメンタリーという言葉が持ってる魔力はいかんなく発揮されているように思います。油断してると「なんだかわかんないけど凄まじいカンジ」にみえてしまう。でもさ、冷静に観てみるとそうでもないというかなんというかで、実際のところ、ワタクシは今作品、「凄まじいからスゴイ」わけじゃなくって「凄まじくないからスゴい」と思ったわけです。つまりさ、真実を全て明らかにするのって、恥ずかしくもあり、惨たらしくもあるわけじゃないですか?でも、監督はそこまで踏み込めてないわけでしょう。だから、今作品の監督の所業は、全くタイトルに偽りなしで、まさしく「監督失格だと思います、はっきりいって。さらにいえば、この映画をみたときに感じる「愛」とか「運命」とかってさ、全部、監督が紡いだ物語にすぎないわけですよね。さらにさらにいえば、被写体に対する「愛」はぜーーんぶ「自己愛」に反照してるとさえ感じます。それってさ、全然ドキュメンタリーとしてどうかと思います。客観的っぽいカオしてみせてるけどイヤイヤどうして。いやまあ、冒頭に書いた通りで「ドキュメンタリーはそういうもんではある」んですけど、今作の場合はさ――結果的に滲み出まくっちゃってるけど元々は――自らの弱さをドキュメンタリックに描こうとしてるわけでは無いですからね。
でもです、そこがイイなーと思うわけです。非情になり切れず、かつ思い出を美化してしまう、その弱さ――そここそがイイなーと思うわけです。