「ジャンゴ 繋がれざる者」――というかタランティーノについて

タランティーノの映画は「からあげクン」みたいなものである】
タランティーノさんの映画ってバランス悪いじゃないですか。『ここもうちょっと尺取ってくれたらもっと面白かったんじゃねーの?』って思うじゃないですか。ワタクシはよく思います。「ジャンゴ」でも思いました。『回想のくだりちょー面白そうじゃん!なんでこの程度の描写に留めるんだよ!』ってなったし、『なんでこの曲いきなしブツ切るんだよ!もっと聞きたいよ!』ってなったし、『このアクションシーン――ってもういいですね。ま、とにかく『なんなんだよ!』ってなるわけです。でも、そこがいいんですよね。
ローソンでからあげクン買って食い終わったらいつも思うんだよなあ、『あれ?これだけ?もう一個あったらイイのになあ』つって。でもこれってさ、間違いなく、その絶妙な「足りなさ」がキモなんすよね。『もう一個食いてーなー』という引きが次回購入に繋がる。浦沢直樹作品級の見事すぎる引き。やりよるでローソン。だってさ、からあげクンてたまに増量になってるときあるでしょ、そん時『ラッキー!』つって調子に乗って食い始めると『ちょっと量多いな……つかそもそも大して旨くねーよな、これ』ってなるんですよね。まさしく、引き以外じつは大して価値がない浦沢直樹作品級!そんなこんなで、タランティーノさんの作品からも、ローソン商品開発部の戦略とおんなじヴァイブス感じたりするんですよね。あくまでも戦略の部分ですよ、戦略の部分。イイシーンはちょっと足りないぐらいにしといて、空白部分は観客に創造させる――タランティーノよう、あんたホントに※※※が※※り気味のとんだ※※※※野郎だぜ!!

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タランティーノの映画は「料理における最上の調味料は?」である】
タランティーノさんの映画ってバランス悪いじゃないですか。「ここもうちょっと尺削ってたらもっと面白かったんじゃねーの?」って思うじゃないですか。ワタクシはよく思います。「ジャンゴ」でも思いました。
じつは、この映画を鑑賞中、途中でちょっとボヤーッとしちゃってさ、ハタときづいたら全然違うこと考えてたんですよね。『明日、早起きできたら漁港に牡蠣買いに行こうかなあ。しかし、牡蠣って圧倒的に美味いからバンバン食っちゃうけど、途中から何食ってるかわからんくなるよな。あれかな、食べ方アレンジしてみたらイイんかなあ』なんて。あれはそうですね、デカプリオさんが演説してるあたりでしたね、たしか。ま、とりあえず、そんなカンジの危機があったのですが、わりとすぐに正気を取り戻すことはできまして、速やかに思考のチューニングを映画のほうへと戻したわけですが、ワタクシが牡蠣と対話している間、ストーリー自体はべつに展開していなかったんですよね、どうやら。で、一瞬『話を見失わずにすんで良かったなー』と思ったんですけど、よくよく考えたら『いやいやこれ別に「良かったなー」じゃねーよな。だって、それって全然意味の無い時間が流れてたってことだよな。そう考えるとちょー時間の無駄だよな。つか、そもそも映画って時間の無駄だよな』ってなったんですよね。勿論、その間も映画は先に進んでいるわけですが――やっぱしスト―リー自体はべつに展開しておらず
でもさ、結局、そういった「無駄と思える時間」があるからこそ、エモい展開訪れると『ヒャッハーー!!!』ってなったりするんですよね。「料理における最上の調味料は空腹である」ってのと一緒でさ、つまり、観客を容赦なくおもくそ飢餓状態に追い込んでくタランティーノよう、あんたホントに※※※の※※を※※してるレベルのとんだ※※※※野郎だぜ!!

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タランティーノの映画は「ウィキペディア」みたいなものである】
タランティーノさんの映画ってバランス悪いじゃないですか。『この会話シーンってなんなんだよ。別にいらねーんじゃねーか?」って思うじゃないですか。ワタクシはよく思います。「ジャンゴ」でも思いました。
いきなりでアレですが、インターネットってすごい便利じゃないですか。ちょー役に立つことあるし、ちょー面白いこともある。でもさ、インターネットの情報って本質的にはどうでもイイんですよね。ワタクシ、一昨年前、しばらくネットを完全に絶ってたことあるんですけど、そん時痛感したんですよね。インターネットで情報集めて情報強者ぶってても、情報を消化出来んかったらなんの意味もねーし、つか、インターネットの中で流れてる時間はインターネットの中でしか流れてなくって、情報を沢山仕入れたような顔してても、それって結局、自分に必要なもんしか頭には入れてなかったりするもんだから、おんなじとこをグルグルグルグル回ってるだけで、実社会においては大して影響なかったりするんですよね。所詮は自己満だし、その自己満を強化してくわけですから、ねーそれってヤバいですよね。ま、とりあえず、ネットって無かったら無かったらで全然問題ないと思います。

でもさ、やっぱインターネットって抜群に面白いんですよね、困ったことに

中でもウィキペディアってのがヤバいんですよね。ヤバいぐらい面白かったりする。けど、ヤバいぐらい意味なかったりする。例えばさ、ウィキペディアの「フェラチオ」の項目をみてみてください。絵入りで「フェラチオ」について克明な解説が書かれています。でもさ、そんなもん別にどおおおでもいいですよね。でもさ、同時に面白いんですよね。関連項目の「お掃除フェラ」とかさ、マジ意味わかんないですよね。
え??全然「ジャンゴ」と関係ないしタランティーノとも関係ない??そう!!そういうことなんですよ!!そんなことを平然とやってのけるタランティーノよう、あんたホントに※ー※ーで※※※を※※※※して喜んでるようなとんだ※※※※※野郎だぜ!!

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【つまり】
タランティーノさんは毎回毎回ズルいなあと思うわけです。
観てる間は、いっつもなっげーなー……とか短いわー……とか思うんでけど、それがいいんですよね。そんなんあり得んわ。つかさ、他の映画の主題歌使って「おおお……!!!」って思わせるのとかマジでズルいですよね。浸透しきってるから、皆、疑問感じんくなってるような気がするけど、キル・ビルのメインテーマとかマジであり得んやろ!!!
というか、そんなことを他の監督がやろうもんなら『なんちゅうことするんだ!しょーもない!』って言われるか、『タランティーノのパクリwww』って言われるのが関の山ですよね。それってマジでズルいですよね。『タランティーノのパクリwww』ってさ。矛盾しまくりですよね。そんなレベルになっちゃうとそれはもうさ、タランティーノだったら何をやっても許されるというのか!!と思ってしまいますよね。それって完全に※※※※※※※とおんなじ、頭の※※※たペ※※ン野郎じゃねーか!!!

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【そう。タランティーノはズルい】
そう!ズルいんだって!!

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タランティーノの映画はLee Mosesの「Reach out, I'll be there」とは違う】
タランティーノさんの音楽のチョイスはマジ最高で、これがさ、単なるブラックミュージック好きだったら、正直、ある種の閉鎖性から生じるヤダ味が漂ってくると思うんですよね。でもさ、タランティーノさんはそういう類いのブラックミュージック好きじゃなくって、なんつーかな、英国ノーザンシーンと同様のさ、白人だろうがロックだろうがそんなの全然関係なしに「俺がイイと思った曲がソウル」っていう、所謂ソウルボーイ的ヴァイブス感じるんですよね。だからちょー好き。

で。今から述べるのはそんなこんなと全く関係ない話でアレなんですけど、Lee Mosesの「Reach out, I'll be there」ってのは60sクラシックの曲の一つなんですね。youtubeとかにあるから是非聴いて頂きたいのですが、そして、一聴して頂いたら解るのですが、この曲さ、超絶にヘタくそなんですよね。『あんたら、よくこんな状態でリリースしたよな』ってレベルの曲なんですね。とくにギターとかヤバくって全然音が出てなかったりするんですね。「二度見」ならぬ「二度聴き」しちゃうカンジ。我が耳を疑う級ってことですね。でもカッコイイんですよね。
なにが言いたいかっつーと、タランティーノさんの映画って、明らかにバランスおかしいことが多いから「ヘタウマ」的に思われそうだけど、それってちょっと違うと思うんですね。なんつーかな、ワタクシ「キル・ビルvol.1」観たとき『おいおい。このおっさんフツーに映画作れるやないか。なんでいつもこうしないねん』と思ったんですね。この辺がタランティーノさんの最大のズルさというかなんというかでさ、つまり、タランティーノさんってさ、「上手く出来ないけどそれをエモさで乗り切ってる」とかじゃなく、逆に、「上手く出来るけど意図的にしてない」でもなく、「上手く出来るけど本人は上手さに価値を求めていない」んですよね、おそらく。それが作家性になってるのは本当にズルいよなあ。