「華麗なるギャツビー」

僕はその渦中に居たわけじゃないし、だから、当然直接の面識もないから、ニックとは全然違って99%部外者なわけだけど、でも、その位置からみた景色ってのもあるかもしんないし。

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その昔、クイックジャパンという雑誌で、東京モッズシーンについての連載があったんだ。ブルーハーツになる前のヒロトの話とか書かれてて、ちょー面白かった。岡山からやってきたクリーニング屋の倅が“ヒロト”になるまでってカンジでさ、青春を見事にパッケージングしたスゲー良い連載だった。つって、それは本題じゃない。その連載、ヒロトの話も面白かったんだけど、“現場”にいる人達へのインタビューも沢山あって、そっちもちょー面白かったんだ。だって、ポロリポロリと知ってる人の名前が挙がったりするんだから、それはやっぱ臨場感あって盛り上がるよね。んで、そのインタビューに答えてる東京モッズシーンの人ん中に「ギャツビー」を名乗ってる人がいたんだ。モッズってさ、「ピート」とか「ロジャー」とか通名つけるんだよね。で、彼が選んだ名前は「ギャツビー」だったんだ。

彼はどうしてギャツビーという通名を選んだのか?由来は勿論、グレート・ギャツビーからで、つまり「盛大なパーティを開いて沢山の人と出会ってんのにホントの姿は誰も知らないギャツビーの生き方が消費文化の象徴みたいでとてもクールだと思ったからつけた」ってカンジだったと記憶してる。

その感覚スゲーわかるんだ。

ヴィンテージシーンの現場ってさ、フツーの(?)クラブとは違って、なんつーか日常との地続き感がより希薄だと思うんだ。とりあえず、大勢の人が、時代を飛び越えたコスプレ級のファッションして遊びに来てるからさ、最初の頃は、遊びにいく度、ふと『この人たち普段何してるんだろ?』って思ってた。んで――これは地域によって違うだろうけど僕がみてたシーンでは――匿名性の中でストイックに遊ぶ人が多かったようなカンジがするから、みんなイイ意味での“得体がしれなさ”が強かったかもしれない。勿論、度々現場に行ってるとさ、必然顔見知りも出来るんだけど、でも、やっぱなんか越えちゃいけない一線があるような気がして、『普段何してるの?』とかそういうこと気軽には聞けなかったな。遊ぶときに関係ないし、そういうの。っていう風に僕が勝手に思ってた部分もあるんだろうけど。

正直な話、僕はギャツビーのインタビューに関しては、面白いけど、彼に全力で憧れるってカンジでは無かったように思う。シーンのフェイスで、スクーターチームに所属してて、果てにはバンドやってて、その“全部出来てるカンジ”がさ、ある種のチャラさみたく映って、僕とは全然違う人だなって思った。そりゃそうなんだけど。較べんなよって話なんだけど。ド田舎で暮らしてる男の嫉妬なんだけど。んで、その“チャラさ”こそ「ニック以外の人がみたギャツビー像」だったかもしれないんだけど。

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数年前、「華麗なるギャツビー」の映画化とキャストを知った時、そっこー『これは観たい!』と思った。『キャストがカンペキじゃん!』と思った。ディカプリオのギャツビーもさることながら、キャリー・マリガンのデイジーがカンペキだと思った。キャリー・マリガンが不幸な目にあってイイ顔で困惑するわけでしょ?彼女にそういう役やらせたら最高に決まってるもん。んで、今年になって予告観たら、想像以上にパーティシーンがヤバそうでさ、ちょー期待して観に行ったんだ。
んで感想なんだけど、ああ、たしかにパーティシーンはちょー面白かった。ゲイゲイしくてとてもよかった。でも、うん、そうだな、ギャツビーの“得体のしれなさ”ってのが弱いかなあと思った。ようするに、“人間ギャツビー”がオモテに出すぎてるつーか。そうなんだよな、結局、僕はパーティの「ハレ」と「ケ」が見たかったんだろうな。超越した存在であるギャツビーとその奥に隠されたギャツビーのギャップが欲しかった。もっともっと緩急が欲しかったんだ。なんならさ、「その実像は行間から読みとれ」ぐらいの勢いでもよかったんじゃねーのって思うぐらい緩急が欲しかったかもしれない。
あとはあれだわ、『キャストがカンペキ』つったけど、名家の出であるトムはもっとフツーにさ、GAPの広告に出てきそうな“爽やかWASP野郎”のほうが良かったように思う。いや、まあ、これも僕のアタマん中のトム像がそうだっただけなんだけど、そっちのほうがさ、トムとその周囲の人間の痛々しさが際立つんじゃないかなあと思うんだ。トムが整備屋の古女房に惹かれてんのとかさ、そっちのほうが色々辛いじゃん。だからここもやっぱ緩急が弱いかなあって思ったなあ。

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「ギャツビー」の公開が迫るにつれ、東京モッズシーンのギャツビーのことが頭をよぎることが何度かあった。不思議なもんだよね。クイックジャパンのその連載、すげー面白かったんだけど、そこそこ記憶に残ってんのは「ギャツビー」の由来と彼の写真だけだったりするんだから。その辺がフェイスたる所以なのかな。スゲーな、なんか。ま、それはさておき、ギャツビーのことは気になるけど、くだんのクイックジャパンは手放しちゃってたし、つか、そもそも本腰入れて調べるってテンションでも無かったんだけど、或る日、インターネットでシーンの情報をボンヤリ眺めていたら、突然、現在の彼の情報を目にしたんだ。


ギャツビーは亡くなってた。
それも最近じゃなくって数年前に。


わりとシーンの近くに居た人達も、最近まで知らなかったみたいで、僕とおんなじように驚いている様子だった。だから、彼らがギャツビーの死を知る経緯も僕とおんなじ具合だったんじゃないだろうか。『ギャツビーの映画公開するね。そういえばアイツどうしてんのかな?』ってカンジで。なにもそこまでなぞらなくってもイイじゃん。

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パーティが終わった後、地下から朝の街に出た時のあのなんともいえん感覚ってなんなんだろう。今までの享楽空間の残影とまだ動き出していない街の空気から生じる寂寥感つーか寄る辺無さつーか。
楽しいパーティもいつかは終わる。じゃあ、パーティに意味がないかっつったらそんなことも無い。だってパーティ楽しいもん。でも、やっぱパーティはいつか終わる。結局、僕はパーティでギャツビーをみることは無かったし、当然、パーティ以外のギャツビーをみることも無かった。なんかさ、ギャツビー・ザ・モッドは僕ん中ではギャツビー以上にギャツビーになったような気がする。変な話だけど。