「みなさん、さようなら」

劇場で予告を観た時からちょー気になっていたのですが、タイミングが合わず見逃しちゃいまして、この度のDVDリリースでようやく観ることが出来ました。

渡会悟12才。団地から出ずに生きていくことを決意しました。


ワタクシ、この作品の予告を観た際、『え?濱田岳が12才の役?いや、なんとかなってるような気はせんでもないけど、でもやっぱ違和感あるよね?つか、団地から出ない?一歩も?なんでなんで?どういうこと?濱田岳12才もそうだけど、その設定こそ成立するの?つか、そもそもこの映画、どういうていなの?ファンタジックなハートフル青春コメディ?でもなんかシリアスなカンジもするし?ちゃんとしてるの?してないの?全然わかりません!』といった印象を抱いたのですが、まさかまさかこんなに痛々しくて辛い内容だとは。まったく想像できませんでした。いや、パッと見はコメディっぽく、実際に笑えます。しかし、それはあくまで語り口がそうなだけで、主人公の悟君に降りかかる事柄はかなりハードコア。とりあえず、この作品の最大のポイント、「悟君が団地から出ない理由」が中盤で明らかになるのですが、これがマジで衝撃的。そこまでは、『悟君、団地を徘徊するとかマス大山に憧れるとか一体なんなんだよ。12才ぽく演じてるけどやっぱ大人だし』と嘲笑まじりで観てたのですが、それを一気にグリンッと反転させちゃう衝撃の真相。かなり辛いです。で、その真相だけでも辛いのに、物語が進むにつれて、コツコツコツコツ辛い事件が盛られていっちゃったりするもんですからヤバいです。勤め先のケーキ屋の主人は緩やかにボケてくるし、一番の友人も緩やかにアタマが狂っていっちゃうし、彼女とはなんだかんだとゴタゴタするし、挙句、母子家庭であることを揶揄されるしと、ホント色々辛すぎます。でも、それがなんか笑えるとこあったりするのがヤバいんですよね。
つか、そもそも、この作品の舞台である「団地」の醸し出すヴァイブスがアレでたまりません。高度経済成長期に作られた「団地幻想」の崩壊の速さたるや。それは、悟君と近い時代を生きたワタクシにとってはよくわかるものであるだけに相当迫るものがあります。さらに、この作品ではそこからもう一歩踏み込んで、近年発生している、団地への出稼ぎ外国人の流入と、それに伴うゲットー化にも触れています。そう、悟君とブラジル移民の娘さんとの交流を描くことで、現代日本の澱みたいなモノも捉えてたりしててホントに辛いのです。


しかし、なによりこの作品を超絶に切ないものにしているのは――いったん、主人公と「さようなら」した人達は、その後、悟君の前には二度と姿を現せない――ということなのです。これがホント切ない。
悟君の家の隣には、同い年の女の子松島さんが住んでまして、彼女は、小中高〜大学生〜社会人になるまで、悟君の相談に乗ったり、悟君とキッスしたり、悟君とペッティングしたりします。しかし。やがて、松島さんも仕事の都合で団地を離れることになる。その際、彼女は「休みになったらまたすぐ戻ってくるし」つって旅立つのですが、その後、彼女は劇中二度と登場しないのです。し、実際、彼女は団地には帰ってきていないのでしょう。嗚呼、切ない。切なすぎます。二人は、彼女の部屋で何度も何度もスゲーエロいカンジでペッティングまでしてんのに、その関係性はいきなりプツンと切れてしまう。というか、「ペッティングまでしてんのに」じゃなく「ペッティング止まりになってる」ことがモヤモヤ感を増幅させてるかもしれません。マジたまりません。他の登場人物も同様、一度彼の元(というか団地)を去ってしまうと、みんな二度と登場することはない。嗚呼。ホントに切ない。

悟君は、物語の一番最後で或る行動に出るわけですが、そこで、なるほどこの作品のタイトル「みなさん、さようなら」が響いてきます。小学校の帰りのホームルームでの「みなさん、さようなら」は明日もまた交わされる、あくまでも挨拶としての「さようなら」です。しかし、大人になってからの「さようなら」は一生の「さようなら」になることがある。感覚的には小学校ん時の挨拶とおんなじテンションで言ってるかもしんないけど、後々考えるとじつは全然重みが違ってることに気づくかもしれない。もちろん、それはコインの裏表みたいなところがあって、同時に新たな出会いの可能性も秘めている。しかし「新たな出会いの可能性を秘めているがゆえに、今現在や過去が忘れ去られるであろう切なさ」ってのもある。この作品の結末は、ふつーに見れば月並みなものだと思います。にもかかわらず、ワタクシにはやたらと響いた。それはまさにそういうことです。悟君の取った行動は、彼のこれまでの人生を色んな意味で清算するものです。それは言い換えれば、悟君も――劇中から消えていった他の登場人物同様――見慣れた世界を捨てて、新たな出会いの可能性を孕んだ日常の海に埋没していくということです。「埋没」なんて書くとなんだかネガティブな印象受けるかもしんないけど、全然そんなつもりはなくって、だって、この世界で万能感一杯に振舞える場所なんて嘘っぱちの場所だし、さよならの無い人生だってありえません。それを知ることはちょー大事なことですので、全然ネガティブなことじゃないのです。たださ、そこにはやっぱ切なさは在る――ってことなんです。