「マン・オブ・スティール」

全く期待せずに観に行ったのですが、これが存外面白くって。

                                                                • -


諸々いきなりの展開で申し訳ありませんが――
バットマンの世界を現実社会に即した形でリアルかつシリアスに描いてみせた「ダークナイト」というシリーズがあるじゃないですか。その「ダークナイト」をです、「オバQその後」を劇画調で描いてみせた「劇オバ」的作品だと仮定してみましょう。そうした場合、「マン・オブ・スティール」はどういったものになるかっつーと、オリジナルのオバQのプロットをそのまんま使って、でも絵柄だけは劇画タッチで描き直した作品ってカンジになると思うのです。わかりますでしょうか、このニュアンス。ようするに、「ダークナイト」は、アメコミヒーローを現代に蘇らせるにあたって、もっともらしいプロットを用意して、絵柄とプロットの擦り合わせを行ったわけですが、「マン・オブ・スティール」は「Qちゃんが犬に追いかけられてひと騒動」や「Qちゃんが晩ご飯全部食べちゃってひと騒動」という内容はそんまんまで、でも、絵柄だけはちょーカッコいい劇画タッチで描いているわけです。つまり、「炎上する油井を全力で受け止める」や「レッドネックのトレーラーを全力で破壊」というシーンは、宮谷一彦が「犬から全力で逃げるQちゃん」を描いているようなものであり、谷口ジローが「ちょー旨そうに晩御飯食べてるQちゃん」を描いているようなものなのです。どうですか、イビツでしょう。しかし、それを圧倒的な画力で描かれるとやっぱちょーカッコいい。つか、あまりにカッコいいもんだから、そのイビツさ込みでさらに良くみえてきたりするわけですから、映画とはじつに不思議なものですね。
いやホントその辺は不思議な話でして、お話として整合性が取れていたら面白いかというとそういうわけじゃない。つってそう書くと「ダークナイト」シリーズが整合性を持った作品みたく思われそうですが、全然そんなことはなく、中でも「ダークナイトライジング」は完全に底が抜けちゃってるわけで、で、個人的には底が抜けちゃってたがゆえに「ライジング」は最高に楽しめたわけですが、「マン・オブ・スティール」はそれ以上のアレなヴァイブス、つまり「どうせ色々練っても底抜けるんやったら最初っからもっともらしさとかええやんけ!カッコエエ絵で圧倒したれや!」という逆ギレに近い潔さがありまして、それがハンパない風を巻き起こしているような気がします。
ワタクシ、先日書いた「パシフィック・リム」の感想において「プロレスは入場シーンが感動的ならそれで元取れる」と書きました。というか「試合は次の入場への前振りにすぎないのだから、試合そのものは別にどっちでもいいかなあ」レベルのことさえ書きました。が――「マン・オブ・スティール」はプロレスの試合そのものがちょー面白いのです。これはなんといいますか、戦後間もない頃、アングルとかなんとかチマチマしたことを抜きにして、人々が力道山の空手チョップに熱狂していたものと同様のカタルシスがあるのかもしれません。と言っても勿論「今、この時代において説得力のある空手チョップをみせる」という意味ではありません。「当時の空手チョップに対する熱狂とおんなじぐらいのモンを感じてもらうには、2階席からトペスイシーダしかないやろ!」という意味です。なんと素晴らしいおもてなしの心でしょうか。その心意気があまりにも素晴らしいものですから、これまでの発言を全て抹消し「やっぱプロレスは試合が面白くってなんぼやで!!」と叫びたくなりました。

                                                                • -


ただし。大変残念なことに「マン・オブ・スティール」は「これは俺の映画だ!」となる類いの作品では無かったりします。だって、スーパーマン、ちょーカッコいいし、ちょー強いし、ちょー優しいし、ちょー飛べるし、ちょー目からビームでるし、ちょー透視できるんですもの。ワタクシ、これらの要素は一個足りとも持っていないもんですから、ちょー面白いんだけど、スーパーマンに対して全然感情移入できなかったのです。加えて「パシフィック・リム」を見終わった後みたく、「イェーガーを操縦してるような気持ちで車を運転して帰宅」的な妄想シュミレーション遊びも出来ないわけで、この辺りの余韻を引きずるフック性が無いっつーのはちょっと残念だなあと思います。でも、それはどうしようもないんですけどね。だって、スーパーマンはスーパーなんだもの。それで正解なんですよね。スーパーマンはスーパーなままでいてほしい。もし、スーパーマンがちょー感情移入しやすい我々に近しい存在だとしたら、それはスーパーじゃないからスーパーマンじゃなくなるんですもの。
そんなこんなもあり、映画見終わった後、「パシフィック・リム」Tシャツは欲しくなっても、「マン・オブ・スティール」Tシャツはちょっと二の足を踏むっつーか、それ買ってもどうせ「S」だし、いや、いくらクリプトン星では「希望」を表すっつっても、地球じゃあ誰がみてもスーパーマンの「S」だし、つか、ガリガリガリクソンだし――と思っていたのですが、なんか、この感想書いてたらどんどん好きになってきちゃってて、そういう諸々の照れくささを振り切って、勢いで「S」のTシャツ買っちゃってもイイかなあ!ってなってたりします。