キャリー・マリガンの映画を立て続けにみてみたよ

【わたしを離さないで】

キャリー・マリガンを愛でるために観ました。
大変良かったです。
キャリー・マリガンが、幼馴染み二人が隣室でセックスしまくってるのを尻目に、一人淋しく自室でエロ本読むシーンとかたまらんものがありました。あと、セーター着用してるシーンがありまして、そこではキャリー・マリガンああみえて(?)じつは巨乳」というのが確認出来て最高でした。惜しむらくは、そのシーンが超絶な引きのショットだということなのですが、よくよく考えると、あんまし巨乳を前面に押し出されても、それはちょっと違うわけで、あれぐらい引きのショットのほうがなんとも奥ゆかしいカンジがして逆にイイなと思ってしまいました。うん。むしろイイです。恋は人を盲目にさせますね。

なんて冗談めかしちゃいましたが――というか、最初そんなカンジで観てたんですが――最終的にはちょっと如何ともしがたいものがありました。

それは、上述のような穿った視点に加え「幼馴染みのあの男の子、相思相愛っぽいんだけど、別の女の子と付き合ってるし、というか、セックスしまくってるし、やっぱり思い思われというのはワタシの妄想なのかな……」と逡巡するサマに、なんともベタな恋愛漫画的世界観を見てとっていたことにもよります。つまり、結局は『なんだかんだいってイイカンジの着地が待ってるんでしょ。フフフ』と思ってたわけです。


キャリー・マリガン他、彼女の幼馴染みの皆さんは、とても過酷な出自と運命を抱えております。彼彼女らは、ときには運命に抗おうとするのですが、基本的には自らの運命に従順です。とくにキャリー・マリガンはその姿勢が顕著。ようはこれって藤子F不二雄先生のミノタウロスの皿」なわけです。なんですけど――「ミノタウロスの皿」のヒロインは自分の運命に対して従順、というか、そこに自我は無いように映ります。ちょっとカルト的な印象を受ける。でも「わたしを離さないで」の登場人物の皆さんって自我に目覚めちゃってるんですよね。自我に目覚めた上で自らの過酷な運命を受け入れる――けど――けど――全てを理解したつもりでもやはりあげざるを得ない魂の咆哮。本当に堪らないものがありました。
実際の話、ワタクシはつねづね『人生ってそういうもんなんだよな』と思っています。これって「ロード・オブ・ザ・リング」を観た時に感じた感覚に近いかもしれない。つまり「責任と義務」の問題。勿論、「わたしを離さないで」で描かれるような世界は全然同意出来るものではないのですが、これは極端な例でありまして、本質的には今作で描かれている感覚というのは忘れてはいけないよなあと思ってたりします。これって日本人にはとくに欠けてるような気がしたりします。マヂ切なくって辛い話なんですけど、それが人生なんですよね。

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ウォール・ストリート

キャリー・マリガンを愛でるために観ました。
大変良かったです。
今作でのキャリー・マリガンは、オヤジと恋人二人にブンブン振り回されまくり、登場シーンの大部分はほぼ泣いてらっしゃるというなんとも哀しい役どころです。とても可哀そうです。なんですけど、その泣き顔がじつに秀逸でして、とくにオヤジと和解するシーンの泣きっぷりはマヂ素晴らしくってキュンキュンしました。「絶対泣かないから……絶対泣くもんか……でも……泣いてしまうじゃない……!」ってのを見事に演じてらっしゃいます。たまりません。たまりません。かわいすぎます。
さて、本編に関してですが、基本的にはとても楽しむことが出来ました。オリバー・ストーンの描く「二進法世界描写」が超絶にダサくって、ホント頬を赤らめてしまったぐらいダサかったのですが、それを補ってあまりある面白さだったと思います。


なんですけど。
終盤の20分が衝撃的で。


まず、この映画ってラスト40分あたりで物語の空気感がガラリと変わります。そっから急に現実のサブプライムローン問題が物語に接近するのです。突如、物語全体に襲いかかってくるカオスな状況。そん中で主人公と伝説の投資家であるゲッコーはいかにふるまうのかと思ったら――


カオスな状況下で、ゲッコーが一発目にカマした行動には心底痺れました。まさに鬼畜!!としかいいようのない行動。最高すぎます。ここまでは良かった。なのにさ、おもくそ裏切られたシャイア・ラブーフがゲッコーとの取引きの道具に孫のエコー写真提示するとかちょっと無いし、それに対してゲッコーが応じるとか全然無いし、つか、最後のパーティとかなんなのアレ?世界的な金融市場崩壊の混乱に乗じて再びビッグになってからの〜〜なんともバブリーな香りのするファミリーパーティ、アレなんなの?アレでハッピーエンド的に終わるってなに?なんなの?全然ダンディじゃないよー。醜すぎるよーってなりました。

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17歳の肖像

キャリー・マリガンを愛でるために再度観てみました。
ちょっとムカつきました。
いや、このムカつきは初見の段階でもあったんですけど。

とりあえず、女子高生キャリー・マリガンによる俺アッピール具合が超絶にウザいですね。「オトナのパーティに招待された際フランス語を喋ってみせる」「彼氏に貰った指輪見せびらかし」「先生にフランスのお土産を渡す」等々なんともいえない気持ちになります。なかでも極めつけは「散々、学校disしといて凛として復帰。挙句、見事オックスフォード入学」。なんやねんと。オメーなんやねんと。オメー全部持ってんのかと。オメー何やっても許されんのかと。でも恋は人を盲目にさせますから、初見時は全然許せてたんですよね。絵は素晴らしいですからね。というかぶっちゃけ、キャリー・マリガンがカワイイですからね。それだけで、昨年のベストにブチ込めてしまうぐらいカワイイですからね。


そんなこんなで、ブースカ言いながら再見してみたわけですけど、「17歳の肖像」って61年の英国が舞台だってとこがミソなんですよね。つまり、劇中、キャリー・マリガンが生活してるのって「ウーマンリブ」以前の世界なわけです。ちょっと現代の感覚ではわかり辛いのですが、当時の英国において、女性の皆さんの周囲には、どうにもならん抑圧が存在してて、女子高生キャリー・マリガンもその枠ん中でもがいてらっしゃるわけです。そして、彼女は、自分を囲う枠を見据えることが出来るぐらいの利発さは持ち得ているけど、それをブチ破るほどの超絶な知性は持ち得ていない。この構図って「わたしを離さないで」と似ているかもしれないですね。でも、大きく違うのはキャリー・マリガンの描写。彼女、「17歳の肖像」においては、じつは閉鎖的な世界だというのを全く想起させないとても生命力溢れる爽やかな少女を演じてらっしゃるわけです。うむ。これはこれで世界との対峙の仕方としては正しいですね。美しいものは美しいものとして在るだけでなんらかの力を持っているかもしれない。そして、ちょっとイラつく女子高生キャリー・マリガンの行動は現存する社会に対するベロ出しなのかもしれない。やっぱイイじゃないですか。この映画。